我が国におけるメチル水銀汚染
メチル水銀汚染関連
水俣病関連

1973年5月22日、八代海と対峙しない海岸線の熊本県有明町(天草上島・現天草市有明町)で第三の水俣病が発生しているという報道がありました(朝日新聞,1973.5.22)。1971.7に発足していた環境庁にとって初めて、その存在を誇示できる機会を得たのです。しかし、魚介類の漁獲・販売を規制するという(暫定)基準は、それまでの公害を取り仕切っていた厚生省が改訂しました。総水銀濃度0.4 ppm超、同時にメチル水銀濃度0.3 ppm超の魚介類が規制されるという基準ですが、半世紀近く経過してもこれらの数値の変更はありません。人体の安全(健康)を重視して定めた値であり、行政としては相当に勇気を奮ったと評価できるでしょう。

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環境庁は、その暫定基準の下で水銀使用工場のある全国10県の9海域での魚介類、および全国の水揚げ魚介類と指定河川の川魚と底質土の水銀調査(総点検)の実施を関係機関(自治体)に求めました。

全国10県9海域(沿岸に水銀を使用する事業所がある)における第一次調査(正に第三の水俣病の発生の有無が念頭にある)では340検体(目標検体数の約3%)の測定段階で、熊本県(水俣湾;チッソ)と山口県(徳山湾;東洋曹達・徳山曹達→クロルアルカリ工場=水銀法電解による苛性ソーダ製造)を除く7海域の魚介類水銀濃度は暫定基準値以下でした(毎日新聞,’73.7.24)。また、その3週間後には1,012検体の測定を済ませ、暫定基準超えは総水銀で3検体、メチル水銀で無検体(同時の基準超でないので規制されない)との報告でした(毎日新聞,’73.8.14)。これを受けて、沿岸にクロルアルカリ工場のある富山湾の富山(鉄興社),氷見(日本合成・東亜合成),および魚津(日本カーバイド)の3海域,新居浜(東亜合成),水島(住友化学・関東電化・水島有機・岡山化成),酒田港(日新電化・鉄興社),有明海(三井東圧化学)およびチッソの外海である熊本県八代海(何故か出水沖の八代海は調査対象外)の7海域は安全としました。一方で水俣湾および徳山湾は漁獲規制の対象となりました(朝日新聞,’73.11.10)。何と、’68年5月のアセトアルデヒド工場生産中止後から’73年11月までの水俣湾は漁獲規制されていなかったのです。

一方、全国水揚げ魚介類と指定河川の川魚の水銀総点検では、新潟県関川河口の直江津地先海域、および鹿児島湾奥の魚介類の各水銀濃度が暫定基準を超えていたことから漁獲が規制されました(朝日新聞,’74.9.6)。なお、規制対象外である川魚では、全国17河川・水路の116検体の中、40検体(34.5%)で総水銀(規制対象外なのでメチル水銀測定はしていません)の暫定基準を超えていました(環境白書,環境庁,1974)。

漁獲が規制された4海域のメチル水銀汚染への対応策を記します。1)徳山湾;15 ppm以上の二つのカセイソーダ工場由来とされる水銀を含んだ海底質の浚渫と埋立て(‘75年7月着工、‘77年3月竣工)が行われました。2)水俣湾;湾内魚類の湾外への移動を抑制するための仕切り網を設置し(‘77年10月)、加えて25 ppm以上の水銀を含む海底質の浚渫と埋立て(‘77年10月着工、‘90年3月竣工)が行われました。徳山湾でも水俣湾でも魚介類の水銀モニタリングが行われました。その結果、徳山湾の漁獲規制は、’79年10月から一部解除され、’83年12月にクロダイを最後に全て解除されました。水俣湾の魚介類は、’94.10月に国が定めた暫定基準を下回ったことで、’97.7月に安全宣言、同年10月に仕切網撤去、そして漁業も再開されました。

徳山湾と水俣湾のメチル水銀汚染源は調査して特定したのではなく、のっけから「公害」と決定していたのですから、工場の操業中止(あるいは完全循環式排水の採用)後、一定時限経過すれば、漁獲規制は解除できるのではないでしょうか。浚渫・埋立て工事に徳山湾では1年8か月、水俣湾では13年5か月掛かっています。比較できないほど工事は水俣湾の方が大規模です。

しかし、’73年に報告された魚介類のメチル水銀レベルに差はありませんでした(徳山湾;平均0.51ppm,min-max 0.36-0.60ppm,5種類,水俣湾;0.48ppm,0.35-0.67ppm,5種類)。徳山湾は水俣湾の約15倍の表面積です。水深は比較していませんが、底質の水銀量を浚渫した底質の水銀濃度と浚渫期間から推定すれば、水俣湾が徳山湾の20倍を超えていたでしょう。底質水銀含有土を浚渫したのは、それがメチル水銀汚染源であるということです。したがって、水俣湾は徳山湾の300倍のメチル水銀負荷を受けながら、魚介類のメチル水銀レベルは両者同等です。誰ひとり問題にしていません。全く定量的な観点が抜けています。Dose response relationship を無視するのは、震度5などというレベル分けに意味はない、と言うようなものではないでしょうか……。徳山湾の問題はいずれ記すつもりです。

4つの海域のメチル水銀汚染に戻ります。

3)鹿児島湾奥には沿岸に水銀使用工場が無いことから、桜島の海底火山活動による自然由来の水銀汚染という予断の下で調査が進み、予断通り、桜島海底火山が最も疑われると暫定的に報告されました。4)直江津地先および関川流域については、当初、関川流域に在った水銀使用の工場群(信越化学・日本曹達・電気化学の3クロルアルカリ工場および大日本セルロイド;アセトアルデヒド工場)が疑われました。しかし、その後、鹿児島湾奥の自然汚染を受けて、焼山・妙高山に由来する火山性自然汚染と改めて報告されました。

鹿児島湾魚介類の水銀モニタリングは2003年で中止されました。中止の理由は明らかにされていませんが、鹿児島県の財政の問題と思われます。鹿児島湾のメチル水銀汚染魚(タチウオ,キアマダイ,ソコイトヨリ,アナゴ,マアジ,オオメハタ,アオリイカ,アカカマス,ヤガタイサキ,マゴチ)の漁獲の自主規制は自然汚染なので解除出来ないと言っています。一方、’73年から続いた直江津地先のメチル水銀汚染魚(イシモチ,カナガシラ,カナド,マガレイ,およびアカムツ)の漁獲の自主規制は、2000年から3年間暫定的規制値を超える魚が検出されなかったことで、イシモチを最後に2003年に解除されています。水銀モニタリングも中止しています。関川流域の川魚の水銀モニタリングは現在も続けられていると思われます(2015年までは報告あり)。水銀モニタリングの結果を基に、漁獲規制流域は、その都度、解除されています。近年、流域で複数の暫定基準超の検体が報告されています。火山性自然汚染が進んでいるとは報告していません。ここでも、量反応関係は無視されています。

第三の水俣病問題から発展したメチル水銀汚染魚の問題はここに挙げた4海域です。しかし、全国には多数の水銀汚染が報告されており、海生研OB会HPを通して、徐々に明らかにします。次回は関川流域について記述します。


公開日 2017年9月11日作成者 tetuando

全国(都道府県単位として発令)における水揚げ魚介類の水銀調査によってメチル水銀汚染魚が見つかったのは、前回の記述のように直江津地先と鹿児島湾奥の2水域です。全国でこの2水域だけがメチル水銀に汚染されていたと短絡した・させたのは、各自治体の姿勢だと思います。実際に、全国各地で少数の暫定的基準値を超える魚体が散在しました。その為か、全国各地からの入荷が主体の東京都では、それなりの多数の魚種・魚体の汚染魚がありました。しかし、それらの汚染魚が東京湾からの水揚げでない・回遊魚・深海魚・マグロ類などという抜け道を用いて、東京湾の調査もせずに、汚染していないと判断しました。東京都の方法を用いることで、全国各地には汚染問題が無かったと一方的に判断したに過ぎません。

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関川河口先の直江津地先および鹿児島湾奥では汚染魚の存在が否定出来ませんでした。両水域ともにメチル水銀汚染魚の産地が地元であると特定されたことで、東京都手法での誤魔化しが効かなかったのはもちろんです。しかし、直江津は新潟県であり、県民感情を考慮すると、「公害」でないことを明らかにするべきとの判断だったと思われます。実際に、関川流域の3域には水銀使用工場が稼働していました。逆に、鹿児島湾奥には水銀を使用する事業所はありません。鹿児島湾奥には多数の温泉があります。それに、当時、国分では天然ガスを採掘していました。温泉水・火山ガスに水銀が含まれていることは、温泉水の成分を分析する保健所職員にとっては特殊な知識ではありません。したがって、鹿児島県は、単純に「火山説」に行きついたのだと思います。

さて、今回は、直江津地先と関川流域のメチル水銀汚染魚について記します。

全国の水揚げ魚介類の水銀調査で明らかになったのは直江津地先のメチル水銀汚染であって、関川流域のそれらは、新潟水俣病問題の勃発!?(1965.5.30;昭電鹿瀬工場,‘65年1月操業中止)を受けて燻っていました。

青木は、昭和41、42、43年度の厚生省の公害調査委託研究費を獲得し、‘66年6月、10月および12月に新潟県で操業中だった二か所のアセトアルデヒド生産工場の廃液および周辺底質・河川水の水銀調査をしています(水銀による環境汚染に関する研究 第1報,536-545,24,日衛誌,1970)。電気化学青海工場(旧青海町・現糸魚川市青海;‘68年5月操業中止)とダイセル新井工場(旧新井市・現妙高市;‘68年3月操業中止)です。後者に関川中流域の渋江川への排水口が在りました。操業中のアセトアルデヒド工場廃液の水銀調査という貴重なものです。阿賀野川関連の調査の全てが昭電鹿瀬工場の操業中止後に行われたことは無視されがちです。

青木の3回の調査によると青海工場の廃液に総水銀(メチル水銀)で2.72(0.76),2.88(0.93),2.70(0.84)ppmを検出しています。しかし、3か所の排水口の泥中には総水銀として37.5,58.8,303 ppmを検出していますが、メチル水銀濃度はそれぞれNDと記しています。また、新井工場の廃液に総水銀(メチル水銀)で3.37(0.26),3.21(0.77),2.30(0.10)ppmを検出しています。チッソ水俣工場の廃液中メチル水銀濃度は70 ppmとされています。実測値ではなく実験値です。総水銀濃度の報告は見たことがありません。

1958年のアセトアルデヒド年間生産量は、青海5300㌧、新井14400㌧、鹿瀬6200㌧、水俣19400㌧でした。生産規模と廃液メチル水銀濃度から推測できる青海や新井のメチル水銀排出量でメチル水銀中毒問題が起こる可能性は低い、と&oは考えます。一方、鹿瀬工場が水俣工場と同量のメチル水銀をたれ流したというのであれば、その廃液中メチル水銀濃度は210 ppmと算出できます。有り得ない数値です。流域の水力発電量が全国3位(木曽川・信濃川に次ぐ)であるように阿賀野川の水量は極めて豊富です。しかし、水俣湾・八代海の海水量とは比較にならないほど少量です。有り得ない210 ppmの数十倍濃度の廃液中メチル水銀濃度だったと言うのでしょうか。Hg2+は触媒となりますが、CH3Hg+ではアセチレン加水反応が滞りそうです。鹿瀬工場の廃液が阿賀野川流域のメチル水銀汚染源でないことの証拠とさえ言えると思います。

青海工場は青海川河口・日本海から900mに立地していました。青海工場では、工場廃液は、沈殿処理し、スラリーをセメント製造に、上澄み液をセメント用水に使用し、直接、青海川へ排出しない工夫をしています。ただし、スラリーの総水銀(メチル水銀)濃度が8.82(ND) ppmで、製品としてのセメントのそれらが4.40(ND) ppmと計測されたことから、セメント生成時の燃焼工程で、4.42 ppm分のHgが大気中に拡散したと説明しています。廃液中のメチル水銀(0.76~0.93 ppm)についての記述はありません。

底質の総水銀濃度は、工場排水口で最も河口に近い相生町排水口(河口から700m)で20.0 ppm、河口から200 mの青海橋で47.5 ppmです。一方、工場から上流1.5 km の御幸橋で2.74 ppm、6 kmの真砂橋で2.88 ppmです。工場廃液は工場から1.5~6 km上流の御幸橋・真砂橋の底質のHg源ではありません。また、青海工場廃液が北東40 km先の直江津地先のメチル水銀汚染源であった可能性は無いでしょう。

新井工場は関川河口(日本海)から17 km上流の渋江川沿いに在り、そこから2.1 km下流が関川との合流地点です。青木が記した底質採集地の正確な位置はYahooの地図では確認できませんが、合流地点の川幅は分かります。関川が65 m、渋江川が30 mです。底質の総水銀濃度は、工場より200 m上流の渋江橋で5.28 ppm、関川との合流地より50 m上流の渋江川(工場よりほぼ2 km下流;川幅25 m)で21.9 ppm、合流地より関川上流の関川橋(位置は分からない)で6.37 ppm、合流地より2 km下流(関川)の東本島で4.13 ppm、さらに下流の島田橋(位置不明)で4.93 ppmです。

川幅を考慮すると関川との合流地点より手前50 mの底質のHg源は、関川由来ではなく、渋江川由来のHgが堆積したものと特定できるでしょう。また、工場より200 m上流に位置する渋江橋底質のHg源は、工場廃液ではありません。河口から17 km上流に位置し、2 km下流で関川に合流する渋江川の河川水が、工場から200 mという短距離といえども遡上できるとは地勢上、考えられません。関川橋の6.37 ppmのHg源が、新井工場付近から20 km上流の白田切川の火山性水銀である可能性は確かに否定できません。では、白田切川の流れが入らない渋江橋の5.28 ppmは何処から来たのでしょう。関川下流域の上越市、中流域の妙高市は、正に上越地方であり、大稲作地帯です。Hg源が水銀系農薬であるか否かを一度も検討していないという不作為の作為がプンプン臭います。

青木は、結論としてそれぞれのアセトアルデヒド工場廃液が無視できない量のメチル水銀を含んでいるが、調査時の状況は、(巧みな)廃水処理によって排出を抑制出来ていると述べています。確かに、この記述はセメント製造に使用した青海工場には対応しています。また、考察では、河口から900 mの青海工場からの廃液はすぐに日本海に出ること、さらに、廃液が、浅い水俣湾と違って深い日本海の潮流で希釈されることで(水俣病)問題が起きなかったのだろうとしています。

一方、新井工場では廃液排出量が720m3/dayであり、測定された廃液中平均メチル水銀濃度0.38 ppmから、340 g/day→124 kg/yrという大量のメチル水銀が、往時の不完全な処理設備下で放流されていたはずであると、さらに、このことで非常に恐怖を感ぜざるを得ない、と記しています。しかし、渋江川周辺住民に川魚を多食する習慣がないという好条件があったことで、(水俣病)問題が起らなかったのだろうとしています。なお、西村は水俣工場における排出メチル水銀量は最大量であった1959年で117kg/yr(廃液中70 ppm)と報告しています(水俣病の科学,pp187,日本評論社,2001)。

調査・研究において、得られた結果の考察は研究者の裁量であることは紛れもないことです。ただ、厚生省からの委託だったこの研究の最大の目的は、アセトアルデヒド生産工場の廃液にメチル水銀が大量に含まれていることを示すことだったように思えてしまいます。昭電鹿瀬工場は新潟水俣病問題が報道される5か月前に操業を中止しています。したがって、鹿瀬の工場廃液のメチル水銀濃度は測定されていません。委託研究では、鹿瀬の廃液にもメチル水銀が含まれていたとの印象付けのため、操業中の2つの工場廃液中のメチル水銀の検出が求められていたのだと思います。厚生省はこの青木の報告にほくそ笑んだことでしょう。

2つの工場の廃液中のメチル水銀濃度を提示したに止まることなく、さらに、問題量でないにもかかわらず、水俣病問題が起こるレベルだと言い、恐怖感を持ったとさえ言及しています。また、丁寧に、2つの工場廃液で水俣病問題が発生しなかった理由を、発生の背景として、川魚の多食、広大な流域、閉鎖的で浅海の内湾を挙げ、2工場の立地条件がこれらを満たさなかったからだと考察しています。発生しなかったのではなく、当時の住民の心配事として、『水俣病に罹っているかもしれない』という意識がなかっただけだと思います。

ところが、1973年5月22日の有明海第三水俣病問題の報道を契機に、水俣病患者の掘り起しが水俣病患者を支援する医師の下で行われました。関川流域には水俣病を疑われた者が16人います。青海町住民にはいません。斎藤は、16人のうち、8人は4人ずつの2家族であり、その2世帯では飼い猫の狂死・ニワトリの異常死があったと報告しています(新潟水俣病,pp318,毎日新聞社,1996)。青木と斎藤の報告を合わせて読み解けば、関川第五水俣病問題はダイセルの廃液による公害であったと結論されるのではないでしょうか。

今回は、直江津地先・関川流域について報告する予定でしたが、青木の報告の吟味で疲れてしまいました。続きは次に回します。

□2017年9月18日 □作成者 tetuando

全国に点在したメチル水銀汚染について記そうと書き始めましたが、遅々として進まず、まだ第一章・関川流域に止まっています。全国に共通するメチル水銀汚染源として稲作におけるイモチ病対策に大量散布された「セレサン石灰;酢酸フェニル水銀系農薬」が考えられます。ここまでの世間の常識に照らせば、共通するメチル水銀汚染源は工場廃液です。水銀を触媒としてアセチレンの水添加反応でアセトアルデヒドを生産すれば、反応液中でメチル水銀が副生することは確認されています。当時の関川流域の渋江川には、ダイセル新井工場でアセトアルデヒドを、日本曹達二本木工場で苛性ソーダを、また関川河口に流入する保倉川には、信越化学直江津工場で苛性ソーダを、それぞれ工程に水銀を使って生産していました。関川流域で「公害」が発生しているだろうと注目されました。

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前回の関川流域のメチル水銀汚染については、青木弘氏が昭和41、42、43年度の厚生省の公害調査委託研究費による1966年6月、10月および12月に新潟県で操業中だった二か所のアセトアルデヒド生産工場(電気化学青海工場・ダイセル新井工場)の廃液および周辺底質・河川水の水銀調査について記述しています。青木氏の結論は、二工場(とくに新井工場は)ともに無視できないメチル水銀を流出させたとしています。水俣病問題に発展しなかった理由として、前者は工場廃液のスラリーを再利用(セメント添加)によって適切に処理したことに加え、潮流が大きく水深のある日本海に排水されたことを挙げています。後者は、渋江川流域住民に川魚を多食する習慣がなかったからとしています。流域がメチル水銀に汚染されなかったとは結論していません。しかし、現時点における関川流域の川魚のメチル水銀汚染源は、関川源流の白田切川からの火山性水銀となっています。科学的な証明が為されている訳ではありません。科学的に調査をしても、結果の多くが定性的に考察されてしまいます。実際、この定性的な考察が間違っていないことを担保に、結論としては定量(多数決)的な評価に収めるのが通例になっていると思います。

今回は、関川流域の河底質および川魚類の総水銀レベルの過去10~30年余に亘る経年変動を上越市の環境に関する年次報告と、過去の論文報告等を資料として統計学(定量)的に検討したいと思います。とくに、これまでの調査・研究で駆使された定性的結果と、それから導かれた定量的結論の問題点を明らかにしたいと思います。

先に、青木は、関川(渋江川)流域で操業していたアセトアルデヒド生産工場(‘68年3月操業中止)に関連の河川底質の‘66年6月、10月および12月の総水銀濃度を報告しています(水銀による環境汚染に関する研究 - Hg Series No. 12 - 第1報化学工場内外の排水中水銀量と河川への汚染について,536-545,24,日衛誌,1970;2017. 9. 18に当HPに既投稿)。また、上越市の環境情報センターが年次毎に関川流域の底質総水銀濃度を報告しています。これまでは、上越市の環境調査の年次報告は、上越市のHPから時を遡っても閲覧・確認することが可能でした。しかし、2013年度からの関川流域環境は、妙高市が報告する最近の報告書だけの閲覧になりました。上越市の過去の報告書は閲覧出来なくなりました。

青木の調査/研究は、「公害」を確認するのが目的でしたので、工場排水口および廃液の行先の環境測定に終始しています。一部、排水口よりもかなり上流域も対象にし、排水口より十分、低い値を得ています(後述します)。しかし、その結果に疑問を持つことはありませんでした。自治体(上越市・妙高市)の報告は、モニタリングの公表という機能が主旨であり、メチル水銀汚染源とされている白田切川の火山性水銀の環境における動向を検討することなど微塵にも考えていないようです。そのような調査/研究・報告から何かしら「関川流域のメチル水銀汚染源」に関する情報を得ようと思います。

1982年から2015年の工場排水口関連の総水銀モニタリングデータがあります。底質の採取地は、白田切川 (白田切橋)、渋江川(日曹西ヶ窪排水口直下)、渋江川(ダイセル化学排水口直下)、関川(日本曹達東木島排水口直下)および保倉川(信越化学排水口直下;関川への流入地より上流)です。工場排水口群の底質は1973年から採取されていますが、白田切川のそれらの採取が1982年からなので、今回の解析は1982年からの33年間(34回)ということです。

まず、底質の総水銀幾何平均濃度,95%信頼区間(ppm)を列記します。白田切橋; 3.35, [2.82 – 3.99]、日曹西ヶ窪;0.19,[0.15 – 0.25]、ダイセル化学;0.24,[0.14 – 0.39]、日本曹達東木島;0.17,[0.14 – 0.22])および信越化学;0.08,[0.05 – 0.13]です。火山性水銀は最上流の白田切川から流下するのですから、白田切橋の底質THgが他4地点の数十倍程度であることは、それだけで汚染源でない証拠だと思います。水俣百間排水口は2010 ppm(1959年)、阿賀野川鹿瀬排水口は30 ppm(1975年)でした。このような比較をする研究者は皆無ですが、何故々々坊やの真骨頂です。鹿瀬工場の廃液がメチル水銀汚染源である可能性も低いのではないでしょうか。

青木は4つの排水口のうち日曹東木島およびダイセル化学の二か所の底質THgを、それぞれ4.13 ppmおよび226 ppmと報告しています。測定年は1966年なので、両工場ともに操業中です。二つの工場廃液が多少とも水銀を含んでいたことを説明しています。ところで、貴重なデータがあります(前述のものです)。ダイセル化学の排水口より200m上流地点(渋江川;関川に注ぐ支流・白田切川からの直接の流入はない)の底質で5.28 ppmの THgを検出しています。測定した時期は異なりますが白田切橋のTHgの信頼区間上限の3.99 ppmを超えています。青木は、「公害」の可能性を論じるのが目的でしたので、226 ppmに比べればかなりの低値が200m上流域で検出されたことの奇妙さに何の疑問も持たなかったのでしょう。冷静になって工場廃液以外の水銀負荷源があると気付くべきだったでしょう。このダイセル化学の排水口より200m上流の底質の5.28ppmがダイセル化学の工場廃液由来ではないことは明らかです。また、白田切川からの火山性水銀でないことも明らかです。だからといって農薬由来であるという証拠はありません。1966年は水銀系農薬の使用量の最大年です。

さて、1982年からの33年間の排水口水銀と白田切川の水銀との動向を重回帰分析で解析しました。4か所の排水口の底質総水銀濃度の対数値が従属変数です。それらの33年間の変動が対応年の白田切橋底質の総水銀濃度の対数値(説明変数)と同調(相関)しているかを調べました。説明変数を調整するために4か所の排水口はそれぞれ共変数として用いました。

他の3か所(ダイセル化学、西ヶ窪および東木島)よりも有意に低い(p<0.001, p=0.001 and p=0.003)信越化学の底質水銀の変動で調整すると、火山性水銀がそれぞれの底質水銀を変動させてはいなかった(p=0.271)。ところで、東木島排水口は関川と渋江川の合流点より2 km程下流にあり、唯一、白田切川の流れが加わっています。東木島と白田切橋の底質総水銀濃度は有意に相関します(r=0.466, p=0.003)。したがって、火山性水銀が東木島排水口の底質の負荷源であるための必要条件のひとつが得られていることになります。現在、排水口から水銀が流されていないことから、東木島底質水銀の負荷源が火山性水銀である可能性はあるでしょう。ただし、1983年~2001年までのデータでは両者は負相関関係にあり(r=-0.351, p=0.982)、2002年~2015年の両者は有意の正相関関係にあります(r=0.533, p=0.004)。2002年以降の東木島排水口底質水銀の負荷源の一つとして火山性水銀と同定出来そうです。

次に、1983年から2001年までに実施された関川流域の底質調査を解析しました。白田切川の火山性水銀が(メチル)水銀負荷源と公表した後の調査です。調査地点は、最上流の白田切橋(関川合流前の白田切川)の河川水が直接流下する泉橋(関川上流),広島橋(関川中上流),稲田橋(関川中下流),直江津橋(関川下流),および直江津地先(日本海)です。また、白田切川の河川水が直接流下しない渋江橋(関川合流前の渋江川),新箱井橋(関川合流前の矢代川),吉野橋(保倉川中流),三分一橋(保倉川中下流),および古城橋(保倉川下流)です。

18年間の各地点(n=19)の総水銀幾何平均濃度・[95%信頼区間(ppm)]は、白田切橋;3.60,[3.18 – 4.07]、泉橋;0.096,[0.082 – 0.111]、広島橋;0.106,[0.087 – 0.128]、稲田橋;0.096,[0.081 – 0.114]、直江津橋;0.094,[0.070 – 0.126]、直江津地先;0.075,[0.054 – 0.104]、渋江橋;0.180,[0.132 – 0.245]、新箱井橋;0.039,[0.032 – 0.047]、吉野橋;0.057,[0.053 – 0.062]、三分一橋;0.063,[0.054 – 0.074]、古城橋;0.059,[0.047 – 0.074]です。直江津地先は1984年から測定されています(n=18)。

底質総水銀濃度の対数値を従属変数とする重回帰分析を行いました。各測定地点の違いを調整すると、底質総水銀濃度の対数値は白田切橋底質総水銀濃度の対数値の変動に従って有意に低下していました(回帰係数;-0.319,標準誤差;0.132,p=0.017)。有意ですが、火山性水銀濃度と負相関関係にあるという結果です。1983年~2001年に各地点の底質で検出された水銀が火山性水銀である可能性は極めて低いです。前述の1983年~2001年の東木島排水口(関川沿いに在る)底質水銀濃度が火山性水銀と負相関関係にあることと結果の一致が見られています。1983年~2001年の関川流域の底質総水銀の水銀負荷源は火山性水銀ではないと考えられます。

メチル水銀汚染による人への影響を考える上で、川魚の水銀濃度を知ることは重要です。行政府もそれを承知しており、1985年から2015年まで川魚(ウグイ)の水銀モニタリングを継続しています。途中2002年、03年、および04年は実施していませんので、28の年度のデータがあります。31年間(28回の測定値)の各採集地点のウグイの総水銀幾何平均濃度・[95%信頼区間(ppb)]は、関川上流;112,[93 – 136]、関川中流;153,[134 – 174]、関川下流;167,[152 – 185]、櫛池川;160,[141 – 181]、渋江川;184,[163 – 208]、矢代川;189,[163 – 219] です。これらのデータについて白田切橋の底質総水銀濃度の経年変動との関わりを重回帰分析で検討しました。関川の支流(櫛池・渋江・矢代川)のウグイの総水銀濃度の方が関川のそれらよりも有意に高いです(p=0.001)。当然、火山性水銀とウグイの総水銀濃度とに有意の関係はありません(p=0.872)。その上で、関川では上流のウグイのそれらが最小で、中流・下流のそれらとの差は有意です(p=0.001 & p<0.001)。関川の支流では櫛池川のそれらが最小ですが、渋江川のそれらとの差はなく(p=0.131)、矢代川のそれらとは差のある傾向にありました(p=0.059)。統計解析からは、ウグイの総水銀の負荷源・曝露源が火山性水銀である可能性はないと考えます。

2005年から2015年(2013年欠損なので10年度分)には関川下流と保倉川(関川河口に流れ込む)におけるウグイ・フナ・ニゴイの総水銀濃度が報告されています。両河川の各魚種の総水銀幾何平均濃度・[95%信頼区間(ppb)]を記します。関川/ウグイ;159,[136 – 186]、フナ;103,[84 – 127]、ニゴイ497,[407 – 607]、保倉川/ウグイ;155,[120 – 199]、フナ;85,[58 – 123]、ニゴイ452,[377 – 543] です。これも白田切橋の総水銀濃度を説明要因として加え、川魚の水銀の魚種別・河川別の経年変動を重回帰分析で検討しました。関川産の川魚の水銀のほうが保倉川産のそれらより高いですが有意ではありません(p=0.189)。魚種別総水銀濃度については、フナはウグイより有意に低く(p<0.001)、ウグイはニゴイより有意に低値でした(p<0.001)。火山性水銀の変動に依存して川魚の総水銀濃度が低下しましたが、有意ではありませんでした(回帰係数;-0.082, p=0.131)。しかし、川魚の総水銀濃度が経年的に有意に上昇していました(0.017, p=0.005)。重回帰分析なので、魚種および河川、さらに火山性水銀の影響を調整してもなお、川魚の総水銀濃度は経年的に低下しています。10年度分の幾何平均値でさえ、両河川ニゴイは、魚介類の暫定的総水銀規制値 [0.4 ppm(400 ppb)] を超えています。行政府は原因を明らかにする必要があります。

原因の調査は当然実施すべきですが、河口域では、川魚(ニゴイ)の餌(底泥)も含め、海岸動物の水銀モニタリングも必要だと思います。疫学的調査であれば、魚齢・体重・体長・採集日が記録されているはずです。そのようなデータがあれば、原因の一部が明らかにすることも可能なはずですが、単なるモニタリングの継続実施に止まっているようです。しかし、モニタリングを継続していることで、経年変動が検出できました。最低限の税金(庶民の意思)の使い方を示していると言ってよいでしょう。稲作の耕地面積は関川流域の方が保倉川流域より広いです。水銀系農薬の残留水銀のメチル化が原因である可能性は否定できませんが、これだけのデータでは結論できません。しかし、火山性水銀の可能性はないと思います。

関川流域の過去のメチル水銀汚染に関しては、データが全くないので、その原因を明らかにすることは出来ませんでした。しかし、少なくとも、行政府が叫ぶ、火山性水銀説は根拠のないものという結論は得られたと思います。

これで第一章は終わります。

公開日 2018年6月21日作成者 tetuando

関川第五水俣病問題の検証について、今後も何度か記せる機会は訪れるでしょう。それでも、その時々の思考内容をいつまでも覚えているか、という未来のことは分からないと思います。その意味を込めて、斉藤医師のデータが問いかけているだろうことを、とりあえず文字にしようと思います。

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斎藤の16人の関川病患者から得られているデータが、メチル水銀汚染源の所在を予想させてくれます。渋江川沿いのダイセル新井工場(アセトアルデヒド生産)の廃液では説明できないことが、そのうちのひとつです。斎藤の意識では、無機水銀が容易にメチル水銀に変換される、と信じて疑っていないようです。その為、関川流域の工場廃液は、新井工場に加え、新井工場(渋江川)よりも5km上流の日本曹達日本木工場、および関川河口近くで合流する保倉川沿いの信越化学直江津工場の三廃液ともメチル水銀汚染源だとしています。アセトアルデヒド生産をしていた新井工場にその可能性があるのは青木の調査・研究で明らかになっています。もし、二本木工場の廃液がメチル水銀汚染源として新井工場の廃液に加わっていたというなら、渋江川の魚を多食した人々から関川病が初発・多発したことでしょう。

斎藤は、16人の関川病患者の漁獲地を記録しています。漁獲地分布は、16人のうち8人が A;矢作川と関川の合流点、4人が B;関川(の何処との記述はない)、3人が C;渋江川、残りの1人が D;保倉川です。新潟焼山を源流とする関川(全長64 km)は、源流から20 km下流で太田切川(この上流が火山性水銀が噴出する白田切川)が合流します。さらに10 km下流で渋江川が合流します。そして、さらに8 km下流で矢作川が合流します。保倉川は日本海に河口がありましたが、江戸時代(1675年頃;Wikipediaより)に直江津を便利に利用するため、河口を関川に付け替えたそうです。

2人が昭和37.8年(コンマ8は8月だろう)に初めて関川病を発症しています。また、2人の魚摂取頻度は、ともに2~3回/週と同じです。その内の1人の漁獲地がA地点です。関川病患者の最も頻度の高い漁獲地であるA地点の魚のメチル水銀レベルが最も高い可能性があります。関川・渋江川・矢作川の3河川水が合流しているA地点です。関川に由来する火山性水銀、および渋江川に流出するであろう新井および二本木の工場廃液由来の水銀がメチル水銀汚染源であるならば、4人発症のB地点のメチル水銀汚染レベルが3人発症のC地点のそれらより高いという説明は矛盾します。B地点経由の河川水に矢作川の河川水が加わったA地点の方がB地点よりメチル水銀レベルが高いのであれば、矢作川からのメチル水銀負荷が有ると説明できます。しかし、矢作川流域には水銀使用工場および火山性水銀噴出地は有りません。「公害」でもなく、「自然汚染」でもないが、矢作川へのメチル水銀負荷源が、関川流域のメチル水銀負荷源のひとつであることを裏付けています。

‘73年から実施された直江津地先のメチル水銀汚染魚(イシモチ,カナガシラ,カナド,マガレイ,およびアカムツ)の漁獲の自主規制は、2000年から3年間暫定的規制値を超える魚が検出されなかったことで、イシモチを最後に2003年に解除されています。新井工場が操業中止したのは‘68年3月です。‘73年に「公害」を疑われたのですから、少なくとも、工場周辺・排水口の水銀含有土質などは除去したことでしょう。だとしたら、30年間も魚介類メチル水銀の暫定的基準値を下回らなかったこと、さらに、関川流域の川魚の漁獲規制が依然として続いていることに対してどんな説明を用意できるのでしょうか。

挙句の果てが「火山性水銀」による自然汚染です。安藤説⇒イモチ病対策の水銀系農薬の(大量)散布の方が、断然、整合性のある説明だと信じています。

公開日 2017年10月5日作成者 tetuando

1973年5月22日、熊本大学第二次水俣病研究班が熊本県に提出した報告書に、1960年で終息したとされた水俣病の発生が慢性発症(慢性水俣病)の形態でその後も続いていること、さらに八代海と対峙しない海岸線の熊本県有明町(天草上島・現上天草市有明町)に認定基準を満たす水俣病患者8人、疑いの持たれる者2人、要観察者9人の存在を示す記述のあることが報道されました(朝日新聞、1973.5.22)。これは有明海の水銀汚染源がチッソ水俣工場以外、すなわち有明海沿岸の宇土市(および大牟田市)で操業する2つの水銀を使用する事業所であることを推論したものであり、新潟水俣病に続く、第三の水俣病が起きているとの報道でした。

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この有明海第三水俣病騒動に素早く対応し、1973年6月から水銀使用工場のある全国9水域(水俣湾・八代海・有明海・徳山湾・新居浜沖・水島地先・氷見/魚津・伏木/富山・酒井港地先)についての魚介類水銀調査が行われました。この魚介類水銀調査については目標とした検体数が1万件と大規模でしたが、第三水俣病問題発生による全国的な魚介類の消費離れや漁業関係者の生活問題が関わっていたため、目標の検体数に達していない状態で同年8月13日には緊急的に報告されました。水俣湾徳山湾、および新居浜沖以外の、6海域、当の有明海を含め、魚介類総水銀の平均値は規制値以下であるという部分的安全宣言でした。引き続きの調査の最終結果は、同年11月9日に報告されました。そして、水俣湾徳山湾以外の、新居浜沖を含めた7海域についてはいずれの魚介類も基準値を超えるものが無いというものでした。

水俣湾では5種(コチ、カサゴ、スズキ、クロダイ、カナガシラ)、徳山湾では5種の魚介類(アイナメ、メバル、スズキ、クロダイ、ウミタナゴ)が暫定的規制値である総水銀で0.4 ppm超,メチル水銀で0.3 ppm超でした。しかし、徳山湾でも水俣湾とともに全魚種を対象に漁獲等が規制されました。そして汚染源とされたカセイソーダ工場が廃棄・埋め立てていた徳山湾海底15 ppmHg以上底質浚渫・埋立て工事をおこないました(1975年7月着工、77年3月竣工)。漁獲規制は、1979年10月から一部(4種類)解除され、1983年12月にクロダイを最後に全て解除されています。

実は、徳山湾では第三水俣病事件に先立つこと1971年6月と7月に、厚生省による徳山湾内魚介類の水銀調査の公表がありました。沿岸漁協でセリ値が暴落したという経緯がありました。

中西らは徳山湾の環境中水銀の経時的測定を基に詳細な調査・研究をしています(Nakanishi et al, Mercury pollution in Tokuyama Bay, Hydrobiologia, 176/177 : 197-211, 1989)。徳山湾に立地した工場群の水銀の損失量および排水量(380.8㌧,6.64㌧)を水俣湾(222.7㌧,81.5㌧)、新居浜地先(191.2㌧,0.7㌧)、および水島地先(30.1㌧,0.76㌧)と比較し、水質・底質・魚介類の水銀汚染が水銀の損失量と排水量の多い徳山湾および水俣湾で発生した可能性を指摘しています。しかし、中西らは、調査時点の徳山湾の二つのカセイソーダ工場がすでに循環式排水であり、直接、海水域に排出される水銀が無かったにもかかわらず、メチル水銀汚染魚が検出されていることに疑問を抱いています。また、底質の水銀の海水への溶出率としての104(実験で得られた値は1.4×104)および工場群の水銀損失量を基に算出した海水中水銀濃度の期待値が5 ng/L(ppt)であるにもかかわらず、実際には30 ng/Lであったことから、底質水銀の溶出分では実際の海水中水銀濃度を説明できないと考察しています。

中西は底質浚渫・埋立て着工以前の70年12月・71年7月/10月・72年3月および73年6月/9月の2年9か月の間に6回に亘って徳山湾北区分および南西区分における底質および魚介類の総水銀濃度を測定しています(図を示せないのが残念です)。

徳山湾北区分は夜市(ヤジ)川(流路延長10.8 km,流域面積53.3 km2)の河川水とカセイソーダ工場A(未回収水銀量;201㌧)の排水が流れ込み、仙島および黒髪島の北沿岸、そして大津島の一部に囲まれていますが、西方が大きく開いています。底質総水銀濃度は平均値で5.59 ppmです。一方、徳山湾南西区分は富田川(10.3 km,36.1 km2)からの河川水とカセイソーダ工場B(307㌧)の排水が流れ込み、仙島および黒髪島の南沿岸、そして大津島の東沿岸、さらに大島の北西部沿岸に囲まれ、まさに閉鎖的内湾の地形です(海面面積は北区分の4倍)。底質総水銀濃度は平均値で3.00 ppmです。

未回収水銀量と閉鎖性からすると、魚介類総水銀濃度は南西区分の方が北区分より高いことが期待されます。しかし、5種類×6回の測定値における南西区分の総水銀の幾何平均値は0.30 ppm、北区分のそれらは0.49 ppmです。70年12月から73年9月までの幾何平均値は、南西区分で、0.38,0.29,0.30,―,0.28 および 0.29 ppm、北区分で、0.80,0.76,0.68,0.66,0.27 および 0.21 ppmです。73年6月および9月については両群に差はなさそうです。

魚介類総水銀濃度の経時的変動を示した図に掲げられている底質および各種魚介類の総水銀濃度を数値化し、魚介類の総水銀濃度Y(対数値,ppm)を従属変数、工場排水中の年間水銀排出量X1(㌧;AおよびB工場の排出比率の記載がないので両区分の未回収水銀量比率で分配します)、および湾区分X2(北区分=0,南西区分=1)を説明変数、魚介類生息域X3[底生動物(ヒラメとエビ・カニ類)=0,その他=1]、季節区分X4(A;7~9月=0,その他月=1)、70年12月からの経過月数X5(B)、さらに両者の積X6(A×B)を、共変数として重回帰分析を行いました。回帰式Y=0.62×103 X1-0.210 X2+0.428 X3-0.34×101 X4-0.84×102 X5+0.24×102 X6-0.390が得られました。徳山湾の魚介類総水銀濃度は、年間排水水銀量X1と関係しないが(p=0.616)、湾区分X2では南西区分が北区分よりも低く(p=0.005)、魚介類生息域X3では底生動物でその他の魚介類より低かった(p<0.001)。また、季節区分X4では7~9月に高いが有意でなく(p=0.816)、70年12月からの経過月数X5とともに低下しましたが(p=0.012)、両者の積X6、すなわち7~9月以外の月は経過月数とともに有意ではありませんが上昇していました(p=0.605)。定数は有意でした(p=0.002)。

湾区分が魚介類総水銀濃度の有意の変動要因(p=0.005)でしたので、湾区分別に魚介類の総水銀濃度(対数値,ppm;Y)を従属変数として重回帰分析を行いました。工場排水中の年間水銀排出量X1(㌧)、を説明変数、魚介類生息域X3[C;底生動物(ヒラメとエビ・カニ類)=0,その他=1]、70年12月からの経過月数B(X5)、さらに両者の積X6(C×B)、および季節区分X4(7~9月=0,その他月=1)を共変数としました。北区分で得られた回帰式はY=0.60×103 X1 +0.416 X3+0.113X4-1.69×102 X5+0.27×102 X6-0.258であり、南西区分ではY=1.05×103 X1 +0.362 X3-0.19×101 X4-0.16×102 X5+0.17×102 X6-0.731でした。北区分では、X3(生息域)およびX5(経過月数)が有意でした(p=0.028 and p=0.008, respectively)。一方、南西区分ではX3(生息域)と定数が有意でした(p=0.006 and p<0.001, respectively)。北区分で観察された魚介類総水銀濃度の有意の経時的変動が、南西区分で見られなかった(むしろ定数が有意だったことから基盤的総水銀濃度が安定していた・閉鎖系内湾の地形の故か?)ことから、徳山湾の主なメチル水銀汚染源は北区分を中心として経時的に減少したことが示唆されます。また、湾区分にかかわらず、底生動物よりもその他の海水層の魚類の方の総水銀濃度が高いことから、主体的な水銀汚染源が底質に由来した可能性は低いことが指摘できます。

中西らは652個体の魚介類とそれらの採集地に対応する416ヶ所の底質のそれぞれの総水銀濃度が、魚種別に検討しても量(底質水銀)反応(魚介類水銀濃度)関係が成立しており、底質水銀がメチル水銀源である可能性を指摘しています。しかし、一方でメチル水銀生物濃縮率が高いメバルアイナメクロダイおよびスズキと、それらが低いアナゴシロギス、コノシロ、シャコ、アカガイ、ザルガイ、およびプランクトンが、食物連鎖上(太字肉食)では無秩序であることから、底質水銀がメチル水銀源であるとは特定していません(Nakanishi et al, 1989)。中西らは未回収水銀・工場排出水銀量がメチル水銀汚染源である可能性が高いという「公害」を背景・基盤とした考察をしています。筆者の重回帰分析には説明変数として工場排出水銀量を用いていますが、魚介類総水銀濃度の有意の変動要因ではありません。また、重回帰分析における底生動物よりもその他の海水層の魚類の方の総水銀濃度が有意に高いという結果は、中西らが示した生物濃縮率の低い魚種の全てが底生動物であり、その他の生物濃縮率の高い魚種、すなわち底生生物でない魚種の総水銀濃度が高いことを説明しています。徳山湾海水中メチル水銀濃度が、海底よりも上層に高かったことが示唆されます。メバルアイナメクロダイおよびスズキはどれも海岸域に生息します。さらにクロダイおよびスズキは、汽水域・淡水域でも生息出来ます。メチル水銀が河川水によって運ばれた可能性は十分あると思います。

ところで、南西区分に注ぐ富田川の河川水は発電利用の他、工業用水を主体に一部は上水(15%程度,菊川浄水場;河口から4.5 km付近)として使用されていました。したがって、徳山湾への河川水流入量は限定的でしょう。一方、北区分に注ぐ夜市川流域は盆地状の地形のため取水に不利であり、ほとんどの河川水が徳山湾北区分に流入していました(80年代以降は夜市川最下流の潮止堰から工業用水として取水されています)。流域面積も夜市川が富田川の1.5倍です。したがって、北区分に河口のある夜市川の河川水から農薬由来のメチル水銀が運ばれた可能性は否定できないでしょう。しかし、7月~9月の魚介類総水銀濃度が高いという農薬由来のメチル水銀が汚染源とする直接的な統計結果は得られませんでした。それでも、稲イモチ病対策の「セレサン石灰」の散布は、66年および67年の非水銀系農薬への使用替え通達によって、その使用量が減っています。徳山湾の底質水銀の浚渫・埋立て工事前(75年7月着工)における魚介類総水銀濃度の低下に対し、底質水銀(未回収水銀;データはないが増加するはずです)および工場排出水銀(重回帰分析で有意でない)が寄与したとは考え難いと思います。「セレサン石灰」の使用量の減少が魚介類の総水銀濃度の経時的低下の原因である可能性は十分あると思います。したがって、徳山湾のメチル水銀は「セレサン石灰(酢酸フェニル水銀系農薬)」に由来し、河川水によって運ばれたことが示唆されます。

また、中西らは浚渫・埋立て前の73年6月から77年3月竣工後の83年6-7月までの水銀汚染魚の総水銀濃度を測定しています。調査区分についての記述はありません(Nakanishi et al, 1989)。浚渫・埋立ての竣工3か月前(76年12月)の5種の水銀汚染魚の平均総水銀濃度(0.36 ppm)およびクロダイの総水銀濃度(0.46 ppm)が、浚渫・埋立て着工後1年(76年6月)のそれら(0.52 ppmおよび0.66 ppm)から急落したことを浚渫・埋立ての効果と指摘しています。しかし、竣工後3-4か月の(77年6~7月)に5種およびクロダイの総水銀濃度が0.36 ppm → 0.40 ppmおよび0.46 ppm → 0.58 ppmに再上昇したことについては触れていません。海底の残留水銀の大量の除去(浚渫・埋立ての竣工)という一つの要因が、水銀汚染魚の総水銀濃度を一旦低下させ、さらに再上昇させたとは説明出来ないでしょう。西日本における毎年7~8月の稲イモチ病対策のための水銀系農薬の散布がほとんど行われなかったとしても、水田に散布残留した酢酸フェニル水銀の水田土壌の微生物の分解に由来するメチル水銀が0.40 ppmおよび0.58 ppmへの再上昇の原因になった可能性は否定できないのではないでしょうか。

一方、76年11、12月から’83年6、7月の約7年間の4種の水銀汚染魚(アイナメ・タナゴ・メバル・スズキ)の総水銀濃度の平均値、および78年10、11月から81年6、7月の約4年間のクロダイの総水銀濃度の、二つの低下は緩慢でした。この場合、浚渫しなかった15 ppm未満の水銀を含有した底質が未だメチル水銀汚染源と言うのでしょうか。そうだとすると、浚渫基準値(15 ppm以上・水俣湾は25 ppm以上)に根拠がないと主張することになります。しかし、15 ppm以上の底質の浚渫・除去をする以前から北区分の魚類の総水銀濃度は経時的に低下しました。したがって、徳山湾における汚染底質の浚渫・除去と水銀汚染魚の総水銀濃度の変動とに関連が乏しいことが指摘できるのではないでしょうか。これは、徳山湾において底質水銀の溶出分では海水の水銀レベルを賄えない(Nakanishi et al, 1989)という中西らの疑問の裏付けになっています。正に、メチル水銀汚染源の主体が底質水銀であった可能性は極めて低いことが示唆されます。徳山湾の東に隣接し、工場廃液が流入しない極めて閉鎖系の笠戸湾の環境中水銀・魚介類総水銀濃度の変動を、対照として調査していたら、と残念です。汚染源が工場廃液・未回収水銀と決めつける前に、それらの無い対照と比較するべきことを知っていただきたいものです。第二章はここまでです。

公開日 2018年7月22日作成者 tetuando

今回の鹿児島湾のメチル水銀汚染については、すでに和文論文として投稿しています。ネット検索では「粘土科学」→(→;クリック)粘土科学-J-Stage → 粘土科学の掲載論文が検索できます。画面の右上側に過去の巻号を選ぶ、巻50→号3→検索→の中ほどまでスクロールで下りてもらえば、「メチル水銀による環境汚染と疫学:鹿児島湾を対象として」に行き当たります。其処のPDF形式でダウンロード→で掲載論文が読めます。今回の投稿では、論文に記載しなかった「鹿児島湾のメチル水銀汚染」を中心に報告したいと思います。

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鹿児島湾のメチル水銀汚染問題についても、きっかけは1973年5月22日の第三の水俣病(有明海第三水俣病)の発生を疑う報道(朝日新聞)です。これまでも記述したように、国は魚介類の漁獲・販売を規制するための暫定基準を、総水銀濃度が0.4 ppmを超え、同時にメチル水銀濃度が0.3 ppmを超えた場合と定め、その基準の下で水銀使用工場のある10県の9水域(水俣湾、八代海、有明海、徳山地先、新居浜地先、水島地先、氷見地先、魚津地先、酒田港内)の魚介類、および全国の水揚げ魚介類、さらに指定河川の川魚と底質土の水銀調査を実施しました。この9水域の調査で、水俣湾の23魚種中5魚種、徳山湾の28魚種中5魚種が暫定的規制値を超えており、水俣湾および徳山湾だけが水銀汚染海域と指定され、それぞれ全魚種の漁獲が規制されました(朝日新聞,73.11.10)。

続いて、全国47都道府県の268水域における魚介類303種類の22,403検体、プランクトン616検体、合計23,019検体について水揚げ魚介類の水銀総点検が行なわれました(環境白書,1974)。その際、新潟県関川河口の直江津地先海域の14魚種中4魚種、および鹿児島湾奥の19魚種中5魚種がその暫定的規制値を超えており(環境白書,1974 & 朝日新聞,74.9.6)、直江津地先および鹿児島湾奥では、暫定基準を超えた魚種に限定した漁獲の自主規制となりました。自主規制に罰則はありません。直江津地先のメチル水銀汚染については、いつのまにか関川第五水俣病問題(第一章として報告)に覆われてしまい、「公害」が疑われたものの、行き着いた汚染源は、関川最上流の火山性水銀とされています。この火山性水銀という結論は「鹿児島湾の大々的な環境調査とその結果」を受けて報告されました。なお、鹿児島湾奥のメチル水銀汚染魚は、2017/9/11の本ブログ投稿の「我が国におけるメチル水銀汚染-序章」に記したように、タチウオ,キアマダイ,ソコイトヨリ,アナゴ,マアジ,オオメハタ,アオリイカ,アカカマス,ヤガタイサキ,マゴチの10種です。アオリイカ以下の4種の生態系(沖釣りはしないのでは?)がメチル水銀汚染源を想起させてくれます。

ところで、水揚げ魚介類の水銀総点検に加え、17河川・水路の川魚の水銀点検が行われています。116検体の中、9河川(渚滑川、常呂川、無加川;以上北海道、赤川;山形県、櫛田川;三重県、宇陀川、芳野川、名張川;以上奈良県、川棚川;長崎県)の河川魚40検体(34.5%が暫定的規制値相当を超えていました(環境白書,環境庁,1974)。川魚は現在でも漁獲規制対象外とされていますが、この時は、それぞれの河川において魚種(ウグイ・ニゴイ・フナ等)を指定して流域住民に対する食事指導が行われました。赤川と川棚川を除く(例外というべきでしょう)7河川には水銀鉱床があったことから、汚染源は一方的に水銀鉱床ということになっています。何とこれが、川魚が漁獲規制対象外となっている理由でもあります。政府の詭弁が色んなところで幅を利かせています。しかし、9河川流域の全てに水田があり、水銀系農薬が例外なく使用されています(9/9とも一致)。水銀鉱床原因説では因果関係の評価における関連の一致性(consistency)が得られていません(7/9は一致・2/9は不一致)。

さて、鹿児島湾の住民の健康調査について記すことにします。鹿児島県では74年12月から翌年11月にかけて鹿児島県民の頭髪を採取し、総水銀を測定しています。74年12月の頭髪採取の対象者は湾奥漁協、湾奥一般住民、および県庁職員(男のみ)でした。湾奥の漁協は、錦海(加治木)、錦江(牛根)、および福山(福山)の3漁協がありますが、残念なことにその内訳の記載はありません。75年3月には枕崎漁協、枕崎農家、および県職員(男のみ)を、また、75年4月~8月に牛根漁協、および牛根一般住民を、また、75年10月に根占の漁協と一般住民、および75年11月に大根占の漁協と一般住民を追加しています。

疫学手法としては記述疫学であり、生態学的研究(頭髪総水銀濃度;HairHgの地理分布)を目指しているようですが、横断研究(時制の一致が必要)になっていません。75年10・11月に調査した大隅半島南部の根占(佐多岬側)と大根占(桜島側)の男性だけの地域比較は可能です。根占漁協(男61人;平均値8.4 ppm)、根占一般住民(男13人;7.5 ppm)です。大根占漁協(男34人;8.0 ppm)、大根占一般住民(男14人;6.2 ppm)です。根占≒大根占という仮説に止まります。

枕崎では漁家と農家の比較ができます、漁協(男11人;9.6 ppm,女9人;3.6 ppm)、農家(男18人;7.7 ppm,女21人;3.7 ppm)です。漁家および農家共に男>女であり、魚食量の男女差を反映しています。一方、男では漁家>≒農家ですが、女では漁家≒農家です。枕崎では農家でも良く魚を食べているようです。

最初に手掛けた74年12月の調査は、一部、横断研究になっており、一般住民(県庁職員)における湾奥と鹿児島市の比較が出来ます。また、湾奥における漁家と一般家庭、および漁家における男女の比較ができます。湾奥漁協(男81人,最高値117 ppm~最小値5.1 ppm,平均値35.5 ppm,女28人,65.3 ppm~1.9 ppm,15.2 ppm)、湾奥一般住民(男13人,23.8 ppm~3.0 ppm,10.2 ppm,女3人,7.1 ppm~3.3 ppm,4.7 ppm)、および県庁職員(男16人,16 ppm~3.5 ppm,8.2 ppm)です。生データでないので統計上の検定は出来ません。多分、漁家>一般家庭 and 男>女であり、魚食量の、漁家>一般住民、および男>女を反映しています。しかし、地域比較では、湾奥一般住民男≒or≧県庁職員男(鹿児島市一般住民?)であり。湾奥に汚染源があるという仮説は立てられません。

一連の調査の最大の目論見であったであろう湾奥地区と牛根地区との比較は、時制が一致していないので、両者に差が有ったとしても、地域差/年次差/季節差(?)が混在しており、それらの何れかという判断はできません。とりあえず牛根のHairHgを記します。牛根漁協(男157人;31.5 ppm~1.7 ppm,10.9 ppm,女98人;23.7 ppm~0.9 ppm,5.7 ppm)、牛根一般住民(男12人;22.2 ppm~2.4 ppm,9.7 ppm,女26人;11.1 ppm~1.5 ppm,3.8 ppm)です。漁家では男女共に、湾奥>牛根ですが、一般住民では湾奥≒牛根です。なお、県庁職員については75年3月のデータ(男3人;8.0 ppm~5.2 ppm,6.3 ppm)がありますが、強引に74年12月と比較して季節差(冬季>春季)があるとの主張は無理でしょう。

季節差については中野(日衛誌,40(3),685-694,1985→この論文も日本衛生学会から検索できます)が1975年の3月および10月に鹿児島市で出産した母児の母体血・臍帯血・胎盤・臍帯の各種水銀(無機水銀・有機水銀・総水銀)濃度を比較しています。母児の各血液・臓器ともに3月>10月です。既に、アカカマス,ヤガタイサキ,およびマゴチを除く7種は自主規制の対象になっていたこともあり、3月>10月の季節差がメチル水銀汚染魚の摂食で生じたと考えなくても良いと思います。すなわち、鹿児島湾(湾奥・湾央・湾口共々)環境中メチル水銀レベルに季節差が有ったと言えるでしょう。季節差が火山活動に依存していたことを証明すれば、火山説は有力です。

鹿児島県は、HairHgが湾奥>牛根であると判断しました。メチル水銀汚染源が牛根よりも湾奥に近いという仮説を採用したということになります。しかし、「有明海第三水俣病問題のシロ判定(水俣病患者は居なかった)」に成功した政府に指導されたであろう鹿児島県は、水俣病患者が居ないことを証明するために湾奥漁協の男性(漁師)でHairHg 40 ppm以上の者30人中15人に対して「水俣病検診」を実施しました。湾奥漁協に65.3 ppmの女性が居たことは記録されていますが、この女性はこの検診から外されています。女性の頭髪は一般に長いので、生え際から1 cm(頭髪の伸びは1.1 cm/月)刻みで測定することも可能です。全体で65.3 ppmの測定値に変動があれば、極大・極小値はもちろん、その生え際からの位置からメチル水銀曝露の時間分布が得られます。メチル水銀汚染源解明の相当な知見が得られたことでしょう。

HairHgを40 ppm以上としたのは、一種の目暗まし、と考えてしまいます。当時、水俣病発症の条件(閾値)としてのHairHgは50 ppmとされていました。基準を下げて「丁寧に・詳細に」検診したとするパフォーマンスということです。対象者を漁師に限定したことは、一般人に対しての水俣病検診を省く上ではそれなりに賢明です。魚食量が非常に多い漁師に水俣病症状が無ければ、一般人に出ることはない、という量反応関係に則った判断です。

さて、検診では4人の手袋靴下型感覚障害者が見つかっています。この症状の有る八代海沿岸住民であれば、水俣病特措法によって210万円の一時補償金が出るという水俣病の基礎疾患です。4人のHairHgは、40.9,43.2,44.7,および116.9 ppmであり、15人のHairHg分布では、低い方から2, 3, 4,15番目です。HairHgとこの症状の出現に量反応関係が得られていません。したがって、中毒学の原則に従えば、4人の症状はメチル水銀中毒症でないことになります。しかし、頭髪総水銀濃度は、時間分布が曖昧な曝露指標です。定量分析に用いた頭髪の生え際からの距離や長さが一定でないからです。鹿児島県(検診は鹿大医学部)が一般的な中毒学の原則で以ってメチル水銀中毒でないとの判断をしなかったのは、次の一手が残っていたからです。

手袋靴下症状を有する4人を含む10人は変形性脊椎症であると診断されています。変形性脊椎症による特異的症状として手袋靴下感覚障害が出現することを挙げ、4人の手袋靴下型感覚障害はメチル水銀中毒によって出現したのではなく、変形性脊椎症によって出現したと結論しました。鹿大医学部のお歴々は疫学を無視しています。15人は漁師です。漁師の3人に2人が変形性脊椎症を有し変形性脊椎症を有する5人に2人に手袋靴下型感覚障害が出現するのであれば、漁師の職業病として変形性脊椎症と手袋靴下型感覚障害が有ると警鐘する必要があるはずです。何が何でもメチル水銀中毒という健康影響は無いと報告したかったようです。

このようにして、鹿児島湾奥第六水俣病問題は無かったことになりました。しかし、潜水艇まで持ち込んだ大々的な環境調査の結果、暫定的と断わりを入れながらも、「桜島の海底火山活動が最も疑われる」と結論しました。少なくともメチル水銀汚染源についての報告をしたということです。

その結論に至った拠り所のデータを披露しておきます。海水中総水銀濃度(半定量)1974年5月14-16日(0.5μgHg/L=0.5 ppb以上の検体数/採水数→湾奥2/9,湾南1/21),7月24・25日(湾奥10/38,湾南9/42),10月15・16日(湾奥1/54,湾南0/43),1975年1月22・23日(湾奥0/45,湾南0/105),3月3日(湾奥のみ12/101);桜島爆発回数1974年5月上中旬10回,7月中下旬34回,10月上中旬14回,1975年1月中下旬9回,2月中下旬25回です。0.5 ppbというHg濃度は排水基準なので、それが環境中で検出されるということは尋常ではありません。高濃度Hg検出率と桜島爆発回数との相関係数は0.579と比較的大きいですが、有意ではありません(p=0.306)。しかし、環境研究班は、1974年7月に最大値0.37 ppm=370 ppbを検出したことと、1974年6月・7月および1975年2月に桜島の噴火活動が活発だったこととに関連があるものと推察される、と記述しています。また、370 ppbの検水の水温が周辺水域よりも2-3℃高いという温度差が火山活動(海底噴気)の影響以外は考えられないことも、水銀の検出が火山活動によるものと推論される、と記述しています。これが暫定的報告の実態です。

暫定的報告には海水中総水銀濃度における地理分布を検討した跡が見当たりません。海底噴気孔は福山町沖の海底200 m に在り、「たぎり」と呼ばれており、海上からも、その泡模様が確認されます。370 ppbの海水の採水地は、姶良重富の思川河口と鹿児島市の北端海岸である大崎鼻に挟まれたNo8区画(最深部120 m)の水深60-90 m です。「たぎり」から直線距離で西に10-12 km 区画です。海底噴気孔から370 ppbの水銀塊がどうやって移動したのか見当もつきません。海洋科学技術センター時代の橋本氏に採水していただいた「たぎり」直上の全海水(濾過海水)の総水銀の最高濃度は450(12) ppt(ng/L)でした。同時に採水した直上5 m ・10 m ・20 m の全海水では平均10 pptでした。直上わずか5-20 m離れた(移動した)だけで1/50の濃度になった「たぎり水銀」が10 km 移動して800倍以上になったというミステリーな解釈です。

鹿児島湾奥のメチル水銀汚染が桜島の海底火山活動という暫定的報告に、素早く反応したのが「鹿大医学部」でした。自然由来のメチル水銀は同時に水銀と結合して減毒作用を持つセレン(Se)を含有していることを挙げ、「自然由来のメチル水銀汚染なので水俣病症状が出現しなかったのだろう」、というコメントを発しました(鹿児島湾がメチル水銀汚染状態であったことを認めている)。既に湾奥漁協の4人の漁師が呈した手袋靴下型感覚障害は、変形性脊椎症による症状と診断しています。Seの減毒作用でメチル水銀中毒症としての手袋靴下型感覚障害は発現しなかった。正に、「4人の手袋靴下型感覚障害は変形性脊椎症による症状であるという証拠」、と言いたかったのでしょうか…..。

彼らの変形性脊椎症説に蓋然性を持たせるための自然汚染説(桜島海底火山活動説)だと飛びついたに過ぎません。メチル水銀汚染魚が検出された時よりも、現在の桜島の火山活動は活発です。鹿児島湾海水中メチル水銀レベルはメチル水銀汚染魚が検出された1974年から10年、1983年に亘って年々低下しました(Ando et al, Environ Sci, 10, 313-326, 2003)。それでも鹿児島県は自然汚染説だと主張し、環境レベルに低下した10種の魚介類の漁獲の自主規制措置を継続しています。

安藤説(農薬説)は、多くの状況証拠(過去のデータのみ)で支えられています。農薬汚染なので、変形性脊椎症による手袋靴下型感覚障害であったことを改めて証明すべきだと思います…. ….「過去には戻れない」、という背景(現実)にしても、権威(環境庁・鹿児島県=多くの著名な研究者の調査,鹿大医学部)は常に正しく、凡人の主張(真実であっても)は戯言と見なされてしまうようです。この先も、安藤の独り善がりは続きます。

公開日 2018年10月31日作成者 tetuando

1973年5月22日、八代海と対峙しない海岸線の熊本県天草郡有明町(天草上島・現上天草市有明町)において第三の水俣病の発生が疑われるとする記述が、熊本県の委託研究に対する熊本大学第二次水俣病研究班の報告書にある、という報道がありました(朝日新聞,73.5.22)。有明海第三水俣病問題発生のきっかけです。

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突然降って湧いたような問題を報道したような印象ですが、そうではなく、くすぶり続けていた水俣病問題(68年5月のチッソ水俣工場のアセトアルデヒド生産停止後の68年9月に水俣病の原因企業についての政府見解が発表された;既に工場廃液が汚染源と分かっていたが、敢えて生産中止後に、見解を大々的に発表した⇔企業活動擁護環境汚染は二の次)を含む公害問題を一機にスクープとして社会問題にしようとするものだったと考えています。朝日新聞以外の報道各社が全く手も足も出せなかったほどのスクープでなかったことは、翌日からの報道合戦が証明しています。各社もそれなりのデータの蓄積があったと思われます。実際、水俣病問題は有明海・有明町に止まらず、全国的な水銀パニックに陥りました。これまでOB会HPに投稿してきた、徳山湾第四関川第五鹿児島湾奥第六の各水俣病問題に飛び火しました。

ここに至った背景があります。水俣病公式発見(1956年5月1日)以降、熊本大医学部各研究室では来る日も来る日も水俣病の実態を調査・研究していました。それらの調査・研究から、未認定患者であっても脳の病理解剖で水俣病病変があること、また、胎児性水俣病の存在、さらに認定患者の家族が非定型的な様々な神経症状(正に慢性水俣病⇔新潟においてはわざわざ遅発性水俣病と命名←本来の中毒学である「曝露レベルが中毒閾値を超えることで発症する=中毒する」ではなく、中毒閾値を超えても発症せずに時が1~5年経過発症する形態;昭電鹿瀬工場でのアセトアルデヒド生産中止・65.1.10後、73年まで新潟水俣病は発生している;工場廃液説を正当化するための詭弁的命名を持っていることなどを検知するに至っています。水俣病について様々な知見が得られていることを知った熊本県は、「現時点の水俣病の姿を明らかにするための研究」に対し委託要請しました。正に、武内忠男教授(病理学)1を班長とする熊本大第二次水俣病研究班(10年後の水俣病研究班)が1971年3月に発足しました。1タケウチタダオ;水俣病がメチル水銀中毒症であることを最初に報告した研究者。

研究班は水俣病の現状を知るために悉皆調査としての水俣病検診を計画しました。対象地として1)水銀濃厚汚染地区として水俣市湯堂・出月・月浦地区(304世帯,男520人:女599人)、2)水銀汚染が少ない地区として、水俣市と不知火海を挟んで対岸の天草郡御所浦町嵐口地区(459世帯,902人:969人)、そして3)水銀非汚染の対照地区として不知火海に対面していない天草郡有明町赤崎・須子・大浦地区(278世帯,570人:610人)を選び、合わせて1041世帯4170人の住民検診を実施しました。水俣市3地区 304世帯中の男520人は有明町3地区278世帯中の男570人よりも有意に少数です(p=0.043, 1方向のフィッシャー直接確率)。水俣市3地区の男性に水俣病中毒死が多かったことを間接的に説明している可能性はあるでしょう。

初年度(1971年度)は、アンケート(質問票)と一般検診から水俣市;315人/1119人(28.2%),御所浦町;135人/1871人(7.2%),および有明町;29人/1180人(2.5%)が要精密者(スクリーニングにおける陽性者)としてふるい分けられました。検診参加者総数に対する要精密者の分布割合は、水俣市>御所浦町(p<0.001)であり、御所浦町>有明町(p<0.001)です。各3地区の住民の魚食習慣(魚食量/回・魚食頻度/週)に極端な差がなく、一般的な沿岸地域の魚食習慣に収束するのであれば、生態系におけるメチル水銀汚染レベルは、水俣市>>御所浦町>>有明町であったとことが期待されます。しかし、有明町のメチル水銀汚染レベルが3地区で最低であったとしても、それなりの数の要精密者を検出したのですから、水銀非汚染地区ではないと認識すべきだったでしょう。そして、本来の疫学研究(記述疫学・チッソのメチル水銀が何処まで・どのくらい拡散したかの調査)に舵を切ればそれなりの疫学調査になったと思います。例えば、チッソからの距離が御所浦町より遠く、有明町より近い大矢野町(大矢野島 or 維和島;宇土半島三角と上天草島と隣り合う島)を加え、アンケートと一般検診(一般検診と後述します)を実施すれば、要精密者の分布割合を得ることができたでしょう。そのことでチッソの工場廃液由来のメチル水銀の拡散状況として距離に依存した地理分布が得られることが期待されます。

得られる地理分布が、①水俣市>>御所浦町>大矢野町≧有明町のメチル水銀汚染状況であれば、チッソの工場廃液が有明町まで拡散したとする可能性は否定できません。それどころか、当時の医学者の主張としての「メチル水銀は食物連鎖によって魚介類で高濃度に濃縮される」を錦の御旗に、チッソから40~50 km離れた有明町の魚介類が、多少とも工場廃液由来のメチル水銀によって汚染された証拠と唱えることでしょう。もちろん、本来の証明は定性としての「食物連鎖」ではなく、定量としての「濃縮率」であるべきです。①の汚染状況こそ「食物連鎖」もまた汚染源からの距離に依存している、すなわち、生態系のメチル水銀レベルが、水俣湾内>>御所浦町地先>大矢野町地先≧有明町地先であることを示唆しています。「食物連鎖」によって魚介類にメチル水銀が闇雲に濃縮されるという「定性」的思考は、今流行の「ご飯論法」の先駆けのように思います。

しかし、地理分布はむしろ ②水俣市>>御所浦町>>or>大矢野町≦or<有明町が得られるのではないかと予想します。この場合、有明町のメチル水銀汚染源がチッソの工場廃液とは独立的に存在しているものがあることになります。それでも、②が得られても、当時の研究者は「公害」として調査を進めたでしょうから、余計に混乱したのではないかと思います。大矢野町を追加せずに調査を続けた研究班の疫学調査による情報からは、正に「第三の水俣病の疑い」に到達するより仕方なかったのでしょう。不思議なことに、いつの間にか「食物連鎖説」の主張は消えています。チッソの工場廃液のメチル水銀が汚染源とは主張していません。確かに、有明町を非汚染地区としての対照として調査したことと整合しています。

一般に、公害問題が起きた時、多くの場合「定性」が幅を利かせます。鹿児島湾のメチル水銀汚染魚の「桜島海底火山説」は「定性」的説明に終始しました。火山ガスから放出される水銀は無機水銀ですが、それをメチル水銀汚染源と報告しているのが「海底火山説」です。確かに自然界では無機水銀がメチル化されメチル水銀が生成します。無機水銀のメチル化は「定性的な」反応です。しかし、「火山説」を言い放つ研究者が(定量的に)そのメチル化率を提示した・することはありません。

それでも、武内研究班長は、後の国会(71年6月6日、第71回衆議院、公害対策並びに環境保全特別委員会)の参考人として、「フェニル水銀系農薬にメチル水銀が含まれていることから、日本で一番多く使われたフェニル水銀系農薬の散布によってメチル水銀が出た可能性がある」と述べています。「一番多く使われた」と半定量的に論じているようにも思います。しかし、不知火海への農薬水銀の影響を棚上げして論じたのであれば、中身は「定性」的論述に止まっています。

さて、次年度(72年度)には、総合判定前の神経科・精神科の精密検診(総合判定前検診と後述)、続いて総合判定のための各科の精密検診(総合検診と後述)が行われました。神経科・精神科検診では、水俣市(受診者245人,水俣病だろう191人,水俣病の疑い20人,保留20人),御所浦町(134人,25人,34人,30人),および有明町(26人,8人,2人,9人)、と診断しました。総合判定前検診の受診者を一般検診によるスクリーニング検査における陽性者)とし、「水俣病だろう」という判定を「患者」とした陽性適中率は、水俣市>>御所浦町ですが(191/245=78.0%:25/134=18.7%,p<0.001)、一方で、御所浦町≦有明町(25/134:8/26=30.8%,p=0.273)です。ただし、有明町の「水俣病だろう」8人の内訳は、5人の「定型型水俣病と区別できない」と3人の「一応水俣病と同等とみられる」であり、「水俣病だろう」を「定型型水俣病と区別できない」に限定すれば、25/134:5/26=19.2%,p=0.955であり、御所浦町≒有明町と考えられると思います。

各対象地区の魚食量を聞き取っていませんが、水俣市の陽性適中率が高いのはそれを無視してもメチル水銀の濃厚汚染地区という要因で説明できるでしょう。御所浦町≒有明町間の陽性適中率はほぼ同じレベルです。両地区のメチル水銀汚染レベルが同等と解釈するには、魚食習慣(魚食量/回×魚食頻度/週)を調整する必要があります。それでも、一般検診における要精密者率(ある一定の条件下;一般的な沿岸地域の魚食習慣が普遍的とすれば)からメチル水銀汚染レベルは御所浦町>>有明町と解釈できそうです。したがって、両地区で同等の陽性適中率は、両地区での研究班の総合判定前検診における検診精度に偏りがなかったことが示唆されます。研究班が有明町の「水俣病だろう」を「第三の水俣病」と記述したことは、検診精度に偏りがないことを背景とすれば、当然の成り行きだったと推察できます。

総合検診では水俣市(受診者195人,水俣病だろう150人,水俣病の疑い20人,保留24人),御所浦町(39人,16人,8人,9人),および有明町(23人,8人,2人,9人)です。総合判定前検診の結果(「水俣病だろう」+「水俣病の疑い」+「保留」)をスクリーニング対象者とすれば、水俣市231人、御所浦町89人、および有明町19人です。総合検診受診者の内訳は、水俣市ではほぼ「水俣病だろう=191人」の195人、御所浦町では「水俣病だろう=25人」に「水俣病の疑い=34人」の一部を加えた39人ですが、有明町では、総合判定前検診者がそのまま対象者だったようです。住民の意思による受診であれば問題ありませんが、研究班が受診者を主導した可能性を否定できません。したがって、3地区の生態系のメチル水銀レベルを検討する疫学研究として総合判定前検診はそれなりに採用できますが、総合検診は問題ありと思います。もちろん総合検診自体の意義は生かされるべきだと思います。

総合検診で水俣市の「水俣病だろう」とされた150人中81人は73年3月末までに水俣病と認定されています。しかし、水俣市における「水俣病だろう」という総合判定による水俣病認定率の54%(81/150)を御所浦町および有明町に当てはめることは適切ではないでしょう。一般検診および総合判定前検診から、生態系のメチル水銀レベルが水俣市≫御所浦町≫or>有明町であると示唆されています。汚染レベルの比較としての疫学調査は成立していると思います。「水俣病だろう」の住民の魚食量(1食当りの量×週当りの魚食頻度)が聞き取られていません。各3地区の「水俣病だろう」と診断された住民の期待される魚食量は水俣市<<御所浦町≦有明町です。水俣市住民が御所浦町や有明町の「水俣病だろう」と診断された住民並みの魚食量があれば、既に急性・亜急性の水俣病を発症していたことが期待されます。

研究班は一連の調査・研究によって有明町住民からハンターラッセル症候群がそろう典型的水俣病と全く区別できない5人、一応水俣病と同様の症状を示した3人の8人(「水俣病だろう」)、および水俣病の疑いとされた2人の疑わしい患者(「水俣病の疑い」)、さらに詳細な検査が必要な9人(「保留」)を検出しました。そこで研究班は熊本県(知事)への報告書「10年後の水俣病に関する疫学的臨床医学的ならびに病理学的研究」に『有明地区の患者を有機水銀中毒症とみうるとすれば、過去の発症とみうるとしても、これは第二の新潟水俣病に次いで、第三の水俣病ということになり、その意義は重大であるので、今後、この問題は解決されねばならない』と記述しました。何故、公文書が事前に漏れたのでしょう。朝日新聞の取材力が抜群だったのでしょうか…!!?

ところで、全国的な「有明海第三水俣病問題」が起る1年2か月前、1972年3月に地元(有明町)では既に水俣病騒動が起きていました。「有明町にも29人(上述の一般検診の陽性者)の水俣病類似患者」との記事が掲載されたようです(これが朝日新聞の記事であれば上述の公文書の事前漏れは必然ということになります→正に、スクープとして公表前に報道した)。有明町は「比較対照地区だというので協力したのに、何ということをしてくれたのだ」との熊本大に釈明を求めました。熊本大はスタッフを派遣し「水俣病と決まったわけではない。結論はくわしい調査をしてからでないとわかりません」と弁明したようです。熊本大のスタッフが一般検診が「水俣病検出」のスクリーニングであることを十分に認識しておれば、当たり障りのない弁明では済まなかったでしょう。翌年の報告書「精密検診と疫学的臨床医学的ならびに病理学的研究」の結論は「第三水俣病の疑い」でした。比較対照地区として適当でなかったことへの釈明は為されていません。また、有明町住民の「第三水俣病の疑い」を発生に関連する諸々の要因について何も言及していません。とくに有明町住民が食した魚介類のメチル水銀濃度を測定しておらず、その理由が全く理解できません。研究班が魚介類のメチル水銀濃度を測定しておれば、後々の「シロ・クロ」闘争における相当な証拠になったはずです。魚介類のメチル水銀濃度が高ければメチル水銀中毒の可能性は高いでしょう。それらが低くとも過去のメチル水銀汚染と指摘すればメチル水銀中毒の可能性は否定できません。

一方、政府(環境庁)は第三水俣病問題を受け、水銀使用工場のある10県9海域における魚介類の水銀測定が行われました。水俣湾と徳山湾(第四水俣病)はメチル水銀汚染魚が検出されたことによって漁獲等の自主規制が行われました。9海域に有明海と八代海(不知火海)が含まれていましたが、汚染魚は検出されていません。その後、不知火海に浮かぶ御所浦町住民の「水俣病だろう」の者から水俣病認定者が出ています。有明海に面して浮かぶ天草上島の有明町住民の「水俣病だろう」は「シロ」判定です。続いて、直江津地先(関川第五水俣病)と鹿児島湾奥(第六水俣病)でメチル水銀汚染魚が検出されました。

第三以下の水俣病問題にはメチル水銀中毒者はいなかったことになっています。このようにまとめてみると、ある意図が働いたことは明らかです。しかし、疫学的な思考をすれば(共通点を拾いだして検討する→メチル水銀汚染という偏りが発生した理由の検索)、第三以下の水俣病問題は、正しくメチル水銀汚染問題であったと指摘できます。水銀使用工場の無い鹿児島湾奥が、桜島の海底火山活動によってメチル水銀に汚染されたというシナリオも、個別の調査・研究で作られました。個別の調査・研究では、共通要因を検討せずに進められます。

結局のところ、研究班の疫学的研究で示せたのは、一般検診というスクリーニングにおける要精密者(陽性者)の検出頻度分布、および総合判定前検診における「水俣病だろう」の者の検出頻度分布の3地区の比較に止まっています。しかし、有明町住民で検出された「水俣病だろう」の症状が、水俣市民および御所浦町民と共通していたことは、二つの検診の結果から明らかです。有明町民の「水俣病だろう」症状だけを取り上げ、その一つ一つの症状について変形性脊椎症糖尿病老化現象などでも起こるとしてメチル水銀中毒とは認められない、と「シロ」判定しました。水俣市民および御所浦町民の水俣病認定者を単独で取り上げれば、有明町民の場合と同様に「シロ」判定できそうです。研究班がこの疫学的研究共通項の比較;要精密者分布・「水俣病だろう」分布)を持ち出せば、こうもやすやすと「シロ」判定に持ち込まれることはなかったでしょう。

一方、メチル水銀汚染源の検索でも個別の調査・研究で対応しました。

73年5月の第三水俣病問題の報道当初は有明町から東に40 km離れた熊本県宇土市に在ったアセトアルデヒド生産工場の工場廃液がメチル水銀汚染源と疑われました。また、この頃、研究班長・武内は、第三水俣病問題騒ぎが起こった直後に、宇土市民の胎児性水俣病と区別できない病変解剖例2例、三角町民の老人の水俣病病変解剖例があることを述べています。工場廃液による「公害」の可能性を問うつもりだったのかもしれません。しかし、「公害」は長期連続汚染です。少数の発症、それも胎児性だけの発症では連続性を説明できません。また、既に工場生産は65年4月に中止されていたこともあって、汚染源と特定されることはありませんでした。武内は病理学者として発言しています。しかし、「公害」と主張するための疫学思考が為されていません。それらの「胎児性水俣病患者」の母の魚食習慣・臍帯の水銀濃度・家族集積性などの何れの記録もありません。

公害」説は、続いて有明町から北東に60 km離れた大牟田苛性ソーダ生産工場を疑いました。引き金は、73年6月には大牟田住民兄弟(58歳・53歳)に水俣病症状があると報道されたことにあります(「水俣病症状の患者 大牟田でも見つかる 河口の魚類を常食」朝日新聞,73.6.8)。子どもの頃から父の釣果を常食し、s40(1965)年春頃に指先の変形など体の変調に気付いていた兄は、自ら大牟田市公害対策室に出向き「水俣病ではないか。調べて欲しい」と訴え、また、弟も父がとったを多食し、10年ほど前から右手がふるえ、杯もうまく運べず、視野が次第に狭くなっているが、開業医は神経痛という、との記事です。

時を置かず、熊本大研究班の原田助教授がこの兄に多くの水俣病症状があることを確認しました。その後、九州大(黒岩教授のグループ)で20日間に亘って兄への水俣病検診が行われ、「水俣病でない」「他の病気で積極的に説明ができる(患者の病名は本人のプライバシーに関することで言えない)」と結論(診断?)されました。本来、症状が弟より兄の方がはっきりしていたとしても、兄弟同時に診察すべきだと思います。5歳離れた弟と同程度の症状を「老化現象」と診断しづらくなることを避けたのでしょう。「水俣病」という共通性があっても、症状の有無・強弱は個別的です。「水俣病」を否定するには個別検診に限るようです。

ここで、3地域別の「水俣病」のa;認定者数と手袋靴下型感覚障害を呈する水俣病特措法におけるb;一時金受領者数をa/b(認定率a/(a+b)%)として示します。A;1787/19306(8.47%),B;704/1811(27.99%),C;493/11127(4.24%)で、A;熊本県、B;新潟県、C;鹿児島県です。その地域の生態系メチル水銀レベルが高ければ、a+bおよび認定率高いことが期待されます。a+bが熊本>鹿児島>>新潟であるにも関わらず、認定率は新潟>>熊本>鹿児島で、新潟県≒3.3×熊本県です。水俣病認定者の症状の有無・強弱3地域(県)明らかに違っていると考えざるを得ません。このように行政の都合によって「水俣病の症状」が変動するのですから、個々の「水俣病症状」はどのようにも診断できるといっても過言でないようです。「疫学」の基本は、「偏りの要因の検索」です。兄弟であって姉妹ではありませんが家族集積性はありそうです。河口の魚類・貝を多食しています。熊本大研究班が71年に実施したアンケート調査(および一般検診)を、大牟田市民を対象として実施しようとは思わなかったのでしょうか。正しい疫学調査の道は閉ざされていたようです。

1960~62年の有明海および不知火海の沿岸住民における頭髪総水銀濃度が、熊本衛生研究所の松島技官によって測定されています(青本,pp738;一部は鹿児島県衛生研究所のデータが掲載されています)。頭髪は1 cm/月位伸びます。通常、長さを出来るだけ揃えるために、頭髪は右耳側(側頭)下部の根元から採取します。それでも頭髪試料の長さは女>男になります。経験測ですが、女性は5~10 cm、男性は3~5 cmが平均的な頭髪試料の長さです。したがって、その長さ(cm)月分だけ過去のメチル水銀曝露レベルの指標であることを認識する必要があります。1960年の頭髪試料は、1959年の情報をそれなりに伝えていることになります。

頭髪総水銀濃度は、A; 10 ppm未満,B; 10~50 ppm未満,およびC; 50 ppm以上の3区分の分布が掲載されています。統計に堪える例数が測定されている市町村の各3区分数を測定年別に列記します。1960年;天草郡龍ヶ岳町(A;24人,B;57人,C;6人),同郡御所浦町(251,747,162),水俣市(38,100,68),芦北郡津奈木町(12,61,29),芦北町(1,33,30),田浦町(6,15,12)。C区分をメチル水銀高濃度曝露群(高曝露群と後述)とします。高曝露群分布は、御所浦町>龍ヶ岳町(p=0.063),水俣市≫御所浦町(p<0.001),水俣市≧津奈木町(p=0.416)<芦北町(p=0.016)≧田浦町(p=0.322),水俣市<芦北町(p=0.044)です。高曝露群分布が高い順(生態系メチル水銀レベルの高い順と考えられる)に並べると、芦北町≧田浦町≒水俣市≧津奈木≫御所浦町>龍ヶ岳町であると示唆されます。1959~60年の芦北町≧田浦町≒水俣市≧津奈木町は、メチル水銀負荷源が工場廃液単独では説明できない生態系メチル水銀レベルの濃度順です。58年9月から59年10月まで工場廃液は八幡プール群(水俣市八幡町)から直接的に不知火海に流出していました。その時期を反映した頭髪総水銀濃度分布であったなら、水俣市≧津奈木町は工場廃液単独で説明できます。しかし水俣市からの距離が津奈木町よりも遠い芦北町および田浦町の高曝露群分布が津奈木町のそれらより高いことをメチル水銀負荷源が工場廃液単独であると説明することは困難です。

1961年;鹿児島県阿久根市(21,9,3),出水郡東町(11,39,25),出水市米ノ津(38,264,143),出水市・高尾野町(7,9,5),津奈木町・湯浦町(6,45,6),御所浦町(130,414,134),八代市日奈久・八代大島(12,24,0),熊本市(65,57,2),長洲町(35,24,0)。高曝露群分布は、東町≒出水市米ノ津(p=0.837)≫御所浦町(p<0.001)>津奈木・湯浦町(p=0.088)≒阿久根市(p=0.827)≫熊本市(p=0.030)=長洲町=日奈久・大島の順です。また、出水市・高尾野町は比較するには少数例です。出水市米ノ津との隣接地区であり、3区分分布もよく似ているので両者を合わせた出水市(45,271,148)として比較しても良いかもしれません。この出水市の高曝露群分布を出水市米ノ津のそれらと入れ替えても結果はほぼ同じです。1961年に水俣市のデータが欠けています。しかし、潮の流れの基本は水俣湾→津奈木(北東)です。メチル水銀が出水米ノ津(出水市)から長島(東町)に沿って獅子島(鹿児島県)→御所浦島という経路で移動したとすれば、説明可能な高曝露群分布の高低と考えられます。一方、メチル水銀負荷源としての工場廃液の寄与度は津奈木・湯浦町≫阿久根市と考えられますが、高曝露群分布は津奈木・湯浦町≒阿久根市です。阿久根市の漁場が不知火海であったのであれば、東町≒阿久根市が予想されますが、実際は、東町≫阿久根市です。阿久根市の漁場は東シナ海側にあったでしょうから、メチル水銀負荷源は工場廃液から独立していたと予想します。他方、阿久根市≫熊本市=長洲町を以て生態系メチル水銀レベルが東シナ海≫有明海とするのは無謀でしょう。ただし、この時期、出水市米ノ津川で出水製紙、川内川で中越パルプが操業中でした。製紙業で水銀化合物が防カビ剤として使われたことは無視できないと考えています。60~61年の有明海(熊本市・長洲町)のメチル水銀レベルが、阿久根市よりも低いものの、不知火海の北東部の八代市日奈久・大島と同等だったようです。

1962年;鹿児島県出水郡東町(52,40,5),出水市米ノ津(179,110,13),水俣市(20,54,4),御所浦町(41,89,29),飽託郡天明村川口・現熊本市南区(87,0,0),熊本市(154,17,2),長洲町(63,18,1)。高曝露群分布では、御所浦町≫出水市米ノ津(p<0.001)≒東町≒水俣市>長洲町(p=0.057)≒熊本市(p=0.965)≫天明村(p<0.001)の順に高曝露群分布が小さく(メチル水銀レベルが低く)なっています。一方、A区分をメチル水銀低濃度曝露群(低曝露群と後述)とした低曝露群分布では、御所浦町≒水俣市≫東町(p=0.001)≒出水市米ノ津≫長洲町(p=0.004)≫熊本市(p=0.011)≫天明村(p=0.001)の順に低曝露群分布が大きく(メチル水銀レベルが低く)なっています。61~62年の有明海のメチル水銀レベルは、不知火海よりかなり低かったと考えられます。ただし、魚食量が相当に多い有明海の漁民であれば、メチル水銀曝露レベル不知火海沿岸住民のそれらと同等であった可能性が高いと考えられます。

1960年から1962年まで3年間連続で頭髪総水銀濃度の比較が出来るのは御所浦町だけです。高曝露群分布では、多い順に61年≒62年(p=0.151)≒60年(p=0.662)ですが、61年≫60年(p=0.001)です。一方、低曝露群分布において、少ない順に61年≒62年(p=0.209)≒60年(p=0.237)ですが、61年>62年(p=0.063)です。したがって、御所浦町の生態系メチル水銀レベルは61年に、62年および61年より高かったことが示唆されます。61年の御所浦町のそれらは、東町および出水市米ノ津より有意に低く、61年の出水沖不知火海が濃厚なメチル水銀の負荷があったことが示唆されます。61年の高曝露群分布は東町がわずかに出水市米ノ津より多いですが(p=0.837)、低曝露群分布は出水市米ノ津が東町より少ない傾向にあります(p=0.093)。両町の漁場はいずれも出水沖の不知火海と考えられるので、わずかな魚食習慣の違い、例えば、魚食量がほぼ一致していても魚食頻度or一食当たりの魚食量に違いがあるのかもしれません。

熊本県衛生研究所の松島技官の膨大な数の頭髪試料の分析からは、1960年代前々半の有明海の生態系メチル水銀レベルは不知火海より低かっただろうといえそうです。しかし、それから10年後の1970年代の前々半まで有明海のそれらが不知火海のそれらより低かったか否かは分かりません。その後の10年の間の66年6月にチッソは完全循環式排水システムを運用しました。工場廃液由来のメチル水銀負荷はほとんど無くなったでしょう。しかし、酢酸フェニル水銀系農薬(セレサン石灰)の使用量は減ったでしょうが、稲イモチ病対策での使用は続いていました。有明海第三水俣病問題で「水俣病だろう」と診断された住民は、阿賀野川中上流域住民の水俣病患者と同等レベル阿賀野川流域住民であれば水俣病と認定されるレベル)の患者だったのではないかと考えられます。有明海第三水俣病問題の「水俣病だろう」の住民は、男7人、女3人のいずれも漁家・半農の漁家です。手袋靴下型感覚障害」の症状を呈した4人の鹿児島湾奥漁師の頭髪総水銀濃度は40 ppmを超えていました。彼らが示した「手袋靴下型感覚障害」は変形性脊椎症が原因だと診断されました。有明町の10人の頭髪総水銀濃度の数値は見つかりませんでしたが、低かったと国会で説明されています(参考人発言)。

「水俣病だろう」を決定づけるものではありませんが、松島技官が実施した頭髪総水銀濃度の調査が、改めて1973年に実施されておれば、1972~73年の不知火海・有明海住民のメチル水銀曝露レベルが比較できたでしょう。「水俣病だろう」は過去の発症と思われます。1972~73年のメチル水銀曝露レベルで説明できないことを知らしめるため、また、「水俣病だろう」の人々のレベルが他の住民よりも高いことだけでも知るべきだったと思います。疫学的データの限定された調査では、真実の主張が簡単に覆されることが示された「有明海第三水俣病問題」だったという虚しさが残ります。

公開日 2018年12月2日作成者 tetuando

我が国における魚介類の水銀に暫定的規制値として、平均値として総水銀で0.4 ppmかつメチル水銀で0.3 ppmを超えるとされています(1973.7.23,厚生省)。しかし、例外措置としてのマグロ類(マグロ、カジキおよびカツオ)、深海魚類、および内水面水域の河川産の魚介類(湖沼産は除く)に、暫定的規制値は適応されていません。深海魚は漁獲が少ないことを例外理由として説明されています。マグロ類は近海魚でなく、人工汚染の考えにくい大洋の回遊魚ということをその理由としたのではないかと思います。しかし、実際は、漁業経済上、規制から外す選択しかなかったのでしょう。一方、川魚が水銀規制されない理由を構築した調査・研究を今回、紹介したいと思います。

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北海道では水銀鉱山(廃坑を含む;所在は無機水銀)がある河川流域の川魚の総水銀濃度が汚染レベルであるとして調査されました(山中すみへ・上田喜一,魚類における水銀の動向について 日衛誌, 29,574-581, 1974)。試料採取は1970年です(酢酸フェニル水銀系農薬使用の最盛期が外れていたという現実を無視せざるを得ない調査・研究ということになります)。①水銀鉱山(廃坑)を経由する河川流域;常呂川水系のイトムカ川と無加川のウグイ総水銀濃度(THg)・(試料数=平均値の数→試料個々のデータの記載はなく、平均値が掲載されています,mean±sd(平均値の平均値±標準偏差・ppm);6,0.92±0.44)②水銀鉱山を通過する河川水が直接的に流入しない河川流域;常呂川中上流のウグイTHg(3,0.52±0.06)との間に差はありません(p=0.174;あくまでも平均値の平均値の差の検定による)。しかし、③対照流域(青木弘,水銀による環境汚染に関する研究, 第2報,日衛誌, 24, 546-555, 1970b);北海道各地のウグイTHg(6,0.19±0.06)を加えた3地域間には③が最低の有意差(p=0.003)がありました。水銀鉱山が流域に在る河川(①無加川)が水銀に汚染されるので、①の河川を生態系とする川魚がそれらの水銀に汚染されたと認定したということです。また、①を生態系とする川魚が、②(常呂川中上流)のような流域に回遊し、また②を生態系とする川魚も①との間を頻繁に回遊するので、両者間のウグイTHgに差はないと説明しています。しかし、①の無加川で最高の平均値は1.80(範囲;1.1~3.0)ppmであり、②の常呂川中上流の平均値は0.50(0.28~0.72)と0.59(0.50~0.74)ppmと報告されています(ibid,山中ら,1974)。例数や標準偏差などの記載がないので統計処理はできませんが、互いの範囲を比較すれば、無加川で最高の平均値は常呂川中上流の2地点の平均値と明らかに差あると判断すべきでしょう。また、無加川水系において、水銀汚染源であるとした水銀鉱山に最も近い下流(イトムカ川)で採集したウグイのTHg(平均値;0.70 ppm)が最高(イトムカ川から45 km下流の無加川・北見市中心街から5 km上流のウグイTHg・1.8 ppm⇔上述の値)ではありません(ibid,山中ら, 1974)。環境汚染において、汚染物質の発生地が最も汚染されるはずですが、山中らは、汚染発生地に最も近い地点の川魚のTHgが最高でない理由ついて説明していません。山中らは、無加川は地層性で汚染帯が広い水銀鉱脈による自然汚染と結論し、水銀鉱脈が唯一の水銀負荷源であったと主張しています。

1970年代における川魚の生態に対する一般的認識(世間の常識)は、全長120 kmの常呂川水系を「ウグイが縦横無尽に遊泳・移動する」だったようです。工場廃液を流した昭電鹿瀬工場から60 km下流の阿賀野川下流域で26人の急性・亜急性水俣病患者が発生しました。同じ期間に鹿瀬から下流域間の阿賀野川中上流域で急性・亜急性患者は発見されていません。「川魚が縦横無尽に遊泳・移動する」が証明されていないのに、「川魚」を「ウグイ」に置き換えれば成立する、と説明されても、納得いくものではありません。それでも、その川魚の生態に対する一般的認識を前提として、常呂川中上流ウグイの0.54 ppmを自然汚染魚と結論するのは無理筋だと考えます。ただし、イトムカ鉱山の主要鉱石は自然水銀(金属水銀Hg0;液体)でした。一般的な水銀鉱石である辰砂(硫化水銀;HgS)は化学的に非常に安定しています。その為、無加川底泥水銀が他所の無機水銀よりメチル化し易く、無加川生態系のウグイTHgが③のそれらより高かったことは十分あり得るでしょう。無加川水系の水銀鉱脈が水銀負荷源のひとつであることを支持しています。しかし、②>>③(p<0.001)の要因が水銀鉱脈であることを支持する証拠として「ウグイが縦横無尽に遊泳・移動する」を充てるのは、やはり無理です。山中らは、無加川と常呂川の合流地から5 km下流地点のウグイのTHg(0.60 ppm)を測定していますが、①の0.70 ppmより低いが②の0.52 ppmよりわずかに高いことについて説明していません。常呂川中流(0.59 ppm)から30 km下流地点が0.60 ppmという測定値は、この地点の生態系の水銀負荷源が無加川流域および常呂川上流域から独立していることを示唆しています。イトムカ鉱山だけを水銀負荷源とするのでなく、無加川を含む常呂川水系に縦横に走っている水銀鉱脈層が負荷源というのであれば、相応の説明になっています。ウグイのTHgレベルの相違は水銀鉱脈層中の水銀含量に依存しているとの説明です。もちろん、裏付けとしての水銀鉱脈層の調査(河川底質のTHg測定)が必要でしょう。しかし、山中らの調査・研究は、イトムカ鉱山以外の要因を検討することなく、「無加川がイトムカ鉱山の水銀に汚染されていた」ことを前提に実施されしまったということのように思えます。

ところで、1995~2014年(20年間)の常呂川日の出および無加川西10号で採集された底泥およびウグイの総水銀濃度が報告されています(北見市広報 2008, 2015)。常呂川日の出の・Fish;ウグイ/ Mud;底泥のTHg(ppm)の幾何平均値(95%信頼区間,例数);0.189(0.163-0.219,16)/ 0.058(0.048-0.071,20)、および無加川西10号のF / MのTHg;0.256(0.199-0.329,20)/ 0.230(0.154-0.345,20)です。ウグイ試料は常呂川下流で合流する仁頃川の上仁頃市街地(0.250,0.216-0.290,15)もあります。ウグイTHgも底泥THgも無加川>常呂川ですが(p=0.048 and p<0.001, respectively)、3地点のウグイTHgは差のある傾向に止まります(p=0.060)。無加川と常呂川との統計学的比較から、定量的にも無加川底泥の総水銀の主体が水銀鉱山に由来する水銀だと考えられます。しかし、底泥総水銀のウグイの総水銀への移行比(F/M・比)が無加川(mean±sd;1.20±0.60)で常呂川(3.25±1.09)より有意に低いことから(p<0.001)、ウグイにとって生物濃縮しやすい化学形態であるメチル水銀の底泥総水銀中に占める割合は、無加川より常呂川の方が有意に高かったことが予想できます。

底泥水銀がウグイ水銀と連動しているかを確かめる必要があります。単相関関係をみると、底泥THg(X)とウグイTHg(Y)との関係は、常呂川(j)でYj=0.790Xj + 0.143,無加川(m)でYm=0.194Xm + 0.208と表すことができます。すなわち、常呂川の底泥水銀の79%が、また、無加川の底泥水銀の19%が、それぞれのウグイ水銀に寄与しているという統計結果です。それぞれ対数値における底泥水銀とウグイ水銀とは正相関しています(常呂川;相関係数r=0.596,n=16, p=0.015,無加川;r=0.728,n=20,p<0.001)。しかし、この統計処理は20年間の各年の平均値を変数としていますから、時間分布を無視しており、間違っています*1)。また、試料としたウグイの体長が10 cm以上~25 cm未満と記されています。ウグイの体長も曖昧にしたままの平均値です。底泥水銀のウグイ水銀への寄与は、各年毎に体長(共変数)を調整したウグイ水銀(従属変数)と底泥水銀(説明変数)の重回帰分析から調べることができます。年毎の従属変数が説明変数と有意の関係があることを確認した上で、これらの水銀モニタリングを続けているのであれば、それぞれの変数の経年変動を確認すべきでしょう。 *1)時間分布を無視した相関関係でありながら、堂々と「疫学の例」で教科書に載っています。各年の胃がんの死亡率(Y)が冷蔵庫の普及率(X)に負相関することから、冷蔵庫の普及によって塩蔵品の消費が減ったことで胃がん死亡率が低下した、と説明しています。これは、時間分布だけでなく地理分布も調整していません。間違いです。ただし、食塩摂取量が減れば、ヘリコバクター・ピロリ菌(海洋細菌の一種)の増殖を抑えるので、胃がん死亡率が低下するのは事実です。

無加川水系および常呂川水系の底泥水銀およびウグイ水銀の20年間(1995~2014年)の経年変動を統計処理しました。体長体重・魚齢)を調整できないウグイ水銀のそれらは参考に止まります。無加川水系では水源に水銀鉱山の在るイトムカ川(幾何平均値 ppm,95%信頼区間 ppm,例数;5.63,4.43-7.16,20)、清水川(4.48,3.59-5.58,20)、北光川(4.80,3.77-6.12,20)、および愛の川(0.92,0.70-1.22,20)の底泥水銀が測定されています。また、無加川流域の底泥試料は北見市街地として西32号(0.24,0.20-0.28,20)、西10号(0.23,0.15-0.34,20)および第1観月橋(0.10,0.08-0.12,20)の3地点で採取されています。常呂川水系では北見市街地の日の出(0.06,0.05-0.07,20)および東10号(0.11,0.07-0.17,12;外れ値を除くと→ 0.09,0.07-0.12,11)が採取地です。無加川水系の底泥水銀については水銀鉱山水系地と市街地を共変数として経年変動を重回帰分析すると、20年間に増減変動を繰り返しながら有意に減少しています(p<0.001)。一方、常呂川水系の底泥水銀は、2001年の東10号で測定された0.8 ppmの外れ値を除けば、20年間に有意に減少しています(p=0.005)。外れ値を含めたままでは有意に減少していません(p=0.538)。本来なら、外れ値は再測定すべきだと思いますが、行政は研究でないことから、何事も無くそのままです。なお、外れ値を含めたままでも、市街地の底泥水銀を、無加川水系と常呂川水系を共変数として重回帰分析すると、市街地の底泥水銀は、無加川水系が常呂川水系より有意に高い(p<0.001)ことを調整しても、20年間に有意に減少しています(p<0.001;例数が増えたことで単純に危険率が小さくなっただけでしょう→統計の怖いところです)。いずれにしても無加川水系における底泥水銀の経年的低下は、水銀の採掘・製錬の中止が起因したと考えて良いでしょう。

20年間を前期;1995~2004,および後期;2005~2014に分け、底泥とウグイの水銀濃度を比較しました。底泥水銀濃度(ppm)は無加西10号で前半0.424/後半0.125と70%低下、常呂日の出で0.077/0.044と43%低下です。ウグイ水銀濃度は無加西10号で0.378/0.153と60%低下、常呂日の出で0.218/0.149と32%低下です。後半において、無加川の底泥水銀濃度は常呂川のそれの2.8倍高いのですが、ウグイ水銀濃度は両者ほとんど同等です。休廃鉱からの水銀の流入量の減少がウグイ水銀濃度の減少と連動していません。休廃鉱からの水銀とは異なる水銀源が無加川および常呂川の市街地に流入していることは否定できず、かつて稲作に使用された水銀系農薬を無視することはできないでしょう。しかし、無加川および常呂川の流域での水田面積などの情報をネットで探しましたが、ヒットしませんでした。それでも、『北見たまねぎや水稲・馬鈴薯・かぼちゃ・にんにく・はくさいなど農産物が多数あります。』、のように北見市の農業についての記述はあります。ウグイの水銀への負荷源として、過去には水銀鉱山、現在もその休廃鉱山からの水銀が正しく寄与しているでしょう。しかし、イトムカ鉱山を閉山した1972年頃までは、稲作における水銀系農薬の散布も同時に行われていました。水銀鉱山以外の水銀負荷源が有るにもかかわらず、一方を無視するのは科学としては間違っています。常呂川水系の水銀汚染の科学的解明を行政のデータで行う限界だと察しました。

全国のメチル水銀汚染では、直接、塩化メチル水銀を排出したとするチッソ水俣工場(熊本水俣病)と昭電鹿瀬工場(新潟水俣病)以外は、この場合の水銀鉱山、全国のクロルアルカリ生産(食塩から苛性ソーダ生産)の水銀法、鹿児島湾と関川流域の火山性水銀のように、無機水銀をメチル水銀発生源と説明しています。いつもの&o論ですが、定量的論述を避けて定性的論述し、焦点を当てない・ぼかすのが行政的方法論です。確かに、科学的に正しいことを伏せて、社会の秩序のために必要悪としてまかり通すのが「政治・行政」でしょう。法律用語における「公共の福祉」では大多数の「」のために、少数の「」が覆い隠されているのが現実なのかもしれません。日本の安全保障のために、沖縄に米軍基地が必要である、というのも「公共の福祉」で説明できそうです。困った、こまった、こまた、小股。科学的解明は、大股では闊歩できないようです。

公開日 2018年12月28日作成者 tetuando

土井と福山(石狩川水系産淡水魚の水銀蓄積に関する研究,35,467-478,1980,日衛誌)が、1975~78年に、石狩川水系の米盛(米飯)川、倉沼川、牛朱別川、忠別川、美英川、石狩川、オサラッペ川、および江丹別川から637匹のウグイを採集し、総水銀濃度(ppm,幾何平均,95%信頼区間,最小-最大;0.175, 0.168-0.183,0.03-0.88),体長(mm,算術平均,標準偏差,95%信頼区間,最小-最大;149,35,146-151,73-326)を測定しています。

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暫定基準値(総水銀0.4 ppm)を超えた検体数は57(総数の8.9%)です。内訳は0.4超;31,0.5超;14,0.6超;7,0.7超;3,0.8超-0.88;2です。各河川では、米盛川(24/121;19.8%)、倉沼川(8/35;22.9%)、牛朱別川(0/33;0%)、忠別川(2/43;4.7%)、美英川(3/98;3.1%)、石狩川(4/145;2.8%)、オサラッペ川(7/49;14.3%)、および江丹別川(11/113;9.7%)です。

各河川の位置関係を記します。米盛川の源泉近くに水銀廃鉱があります。米盛川と倉沼川はともに北西方向へ下っていますが、両河川が合流する2 km手前で倉沼川は北北東方向に下ります。両河川の合流地(地点;A)から北西1.5 km 下流で牛朱別川と合流します(B)。Aから南 1.1 kmに両河川に挟まれて旭山動物園があります。そこから西南西に 8 km 下流で北東から下ってくる石狩川と合流します(C)。Bから7.5 km付近が旭川市役所の北北東500 mです。Cから東南東 2 km 上流・Bから西南西 6 km 下流に製紙工場が在ります。Cから西 2 kmで忠別川と美瑛川が合流した忠別川と合流します(D2)。忠別川と美瑛川はD2から南南東 1.2 km上流で石狩川と合流しています(D1)。石狩川D2から北西 1.5 kmで北東から下ってくるオサラッペ川と合流します(E)。石狩川Eから西南西 1.7 kmで北から下ってくる江丹別川と合流します(F)。

各河川別・上下流別・年別のウグイ総水銀濃度(ppm)を列記します。源泉から西北西 8 km下流・Aから南東 8 km上流が①米盛川(年,幾何平均;95%信頼区間,例数,1976,0.46;0.39-0.53,21,1977,0.21;0.19-0.23,76,1978,0.31;0.27-0.36,24)の測定値です。Aから南 4 km上流が②倉沼川(1976,0.28;0.24-0.32,35)の測定値です。米盛川、倉沼川および牛朱別川の合流地Bから北東1 km上流および西南西 6.5 km下流(Cの東南東 0.5 km上流)が③牛朱別川(1978,0.13;0.11-0.14,21,19780.140.110.1812)の測定値です。Cから北東8 km上流および南西1.5 km下流、および石狩川河口から4 km上流が④石狩川(1978,0.22;0.19-0.26,25,19780.140.120.172419780.120.110.1396)の測定値です。D2から南東6 km上流が⑤忠別川(1978,0.18;0.16-0.21,43)、およびなん南東 6 km が⑥美瑛川(1977,0.17;0.15-0.18,98)の測定値です。Eが⑦オサラッペ川合流地19750.260.170.391319760.140.100.1911)、およびFが⑧江丹別川合流地19780.120.110.1325)の測定値です。Eから北東7 km が(⑦)オサラッペ川上流地(1975,0.29;0.19-0.44,12,1976,0.11;0.09-0.13,13)の測定値です。Fから北6 km上流が(⑧)江丹別川上流地(1977,0.17;0.14-0.19,88)の測定値です。各河川の太文字表示は同一河川での下流地のデータです。

先ずもって少々強引ですが(全体像を観察するため)、637検体のウグイの総水銀濃度(対数値,ppm)を従属変数、各河川流域を説明変数、ウグイの体長(cm)、および採集年(1975年を基準にした経過年数)を共変数として重回帰分析を行いました。ウグイの総水銀濃度は体長に依存して高く(p<0.001)、経年的に低下しています(p<0.001)。体長および経年の変動を統計学的に調整したウグイの総水銀濃度は高い順に、米盛川≧倉沼川≧忠別川>牛朱別川≧江丹別川≧美瑛川≧石狩川≒オサラッペ川です。統計処理しない測定値自体でも米盛川で最高のウグイ総水銀濃度であったため、汚染源=水銀廃坑という構図になっています。ここまでの重回帰分析の結果を前面に出せば、石狩川水系のウグイ総水銀濃度が経年変動するものの水銀廃坑に影響されていると説明できるかもしれません。しかし、これは、牛朱別川流域に製紙工場(一時期、木材・木材チップの防カビ剤として酢酸フェニル水銀が使用されていた)があること、石狩川流域の各地で使用されていた水銀系農薬の残留水銀を無視した結果に止まります。先に進みましょう。

米盛川で最大のウグイ総水銀濃度であるというこの重回帰分析の結果が正しいとするには、幾つかの確認が必要です。ウグイの総水銀濃度が体長に依存して高いということに関連の一致性(この場合、どの河川域でも両者に有意の正相関がある)が得られるべきです。また、経年変動にも関連の一致性(この場合、毎年の米盛川の水銀廃坑からの水銀の各河川への流出変動が有意に一定レベルであること)が得られるべきです。そこで、まずウグイ総水銀濃度を流域毎(河川別)に、体長を説明変数、経年、および流域における位置(上流=0, 下流=1;測定していない河川では除いています)を共変数として重回帰分析を行いました。

76年~78年の米盛川のウグイ総水銀濃度は、経年的に低下傾向(p=0.074)にあり、体長に依存して高くなっています(例数,相関係数,p値;122,r=0.76,p<0.001)。ウグイ総水銀濃度の経年変動は、76~77年には有意に低下し(p=0.003)、77~78年には有意ではありませんが上昇しています(p=0.636)。そして、それぞれの経年変動を調整したウグイ総水銀濃度は、両年間ともに有意に体長に依存して高くなっています(76・77年;98,r=0.79,p<0.001,77・78年;100,r=0.75,p<0.001)。米盛川の場合、どの採集年でもウグイ総水銀濃度が体長に依存して(成長とともに)上昇しています。

倉沼川、美瑛川、および忠別川のウグイ試料は、それぞれ単年度の76年、77年および78年に採集されています。倉沼川(35,r=0.75,p<0.001)、美瑛川(98,r=0.28,p=0.003)、および忠別川(43,r=0.62,p<0.001)のいずれのウグイ総水銀濃度体長に依存して高くなっています。だたし、美瑛川の場合、例数が多いことで両者の弱い正相関関係が有意になっているに過ぎません。

オサラッペ川では75・76年にそれぞれ下流域と上流域でウグイを採集しています。オサラッペ川のウグイ総水銀濃度は、下流域の方が上流域より高いのですが有意ではなく(p=0.205)、75年から76年に掛けて低下するものの有意ではありません(p=0.247)。しかし、それらの地域変動および経年変動を調整したウグイ総水銀濃度体長に依存して高くなっています(49,r=0.66,p=0.004)。

牛朱別川では78年に下流域と上流域でウグイを採集しています。牛朱別川のウグイ総水銀濃度は下流域の方が上流域より高いのですが有意ではありません(p=0.302)。その地域変動を調整したウグイ総水銀濃度は、体長に依存して高くなっていますが有意ではありません(33,r=0.14,p=0.154)。

石狩川では78年に、上流域、中流域、および下流(河口)域でウグイを採集しています。ウグイ総水銀濃度の上流域と中流域間(p=0.001)、および中流域と下流域間(p=0.039)の差はともに有意であり、上流域から下流域に向って有意に低下しています(p<0.001)。しかし、地域変動を調整したウグイ総水銀濃度は体長に依存して高くなっていますが有意ではありません(49,r=0.51,p=0.190)。

江丹別川では77年に上流域で、78年に下流域でウグイを採集しています。江丹別川の場合、時と場所が異なるので、ウグイの総水銀濃度と体長との相関関係を採集年毎に解析します。77年・上流のウグイ総水銀濃度と体長との関係はなんと逆相関ですが、もちろん有意ではありません(88,r=-0.09,p=0.623)。78年・下流のそれらは体長に依存して高い傾向にありました(25,r=0.33,p=0.061)。

河川別のウグイ総水銀濃度と体長は、米盛川、倉沼川、忠別川、美瑛川、およびオサラッペ川で有意の正相関関係がありましたが、牛朱別川、石狩川、および江丹別川では両者の相関関係は有意ではありません。水銀(メチル水銀)が食物連鎖を通して生物濃縮されているのであれば、成長(体長増加)とともに水銀濃度が増すことになります。したがって、ウグイ総水銀濃度とそれらの体長との相関関係が有意であれば、それらの水銀濃度が食物連鎖経由の生物濃縮の結果と評価して良いものと思います。だからといってそれらの相関関係が有意でないので水銀か食物連鎖を経由して生物濃縮されないと判定するのは間違っていると思います。

ウグイは成長するために食餌を摂ります。食餌にメチル水銀が含まれていないことが一般的事実ならば、食物連鎖経由の生物濃縮を否定しても良いでしょう。しかし、メチル水銀は自然界で無機水銀のメチル化(ほとんどの微生物が無機水銀;Hg2+の無毒化のためにメチル化 or 還元=Hg0することで⇒大気中へ水銀を放出する)によって生成されています。その量が多いのが水銀耐性微生物と呼ばれますが、メチル化率が1%を超える能力をもつ微生物は稀です。また、微生物の水銀耐性はその環境によって次第に獲得するのではないかと考えられます。実際、水俣湾の25ppm・Hg以上の海底泥は浚渫され、現在は竹林公園の土台となっています。残された25ppm未満の海底泥は浚渫・除去しませんでした。水俣湾魚介類の水銀濃度が3年連続0.4ppmを下まわったとして1997年10月から全長4,400mの仕切り網が撤去されました。しかし、近年、常時ではありませんが、0.4ppmを超える魚が検出されています。水銀耐性を獲得した微生物によってメチル化が継続的に為されているのであれば、とくに夏季の海水温が高い時にメチル化が進むでしょうから、現在の水俣湾における夏季から秋季の魚介類を集中的に調べれば、「不都合な真実(メチル水銀汚染魚が数多く検出される)」が知らされるかもしれません。

ウグイの総水銀濃度と体長に有意の正相関関係が必ずしも得られないことから、自然界の食物連鎖網では一部に食物連鎖を経由しないメチル水銀の生物濃縮があることに気付かされます。これ(この土井らの論文が掲載された頃)までは、汚染物質の生物濃縮は基本的に食物連鎖経由で為されるものと考えられていました。実際、当時の教科書ではDDTsの生物濃縮率を食物連鎖網の中で説明していました。DDTsは有機塩素系農薬ですが、団塊の世代より少し高齢の方々では「頭から浴びせられた」思い出があるのではないでしょうか。海生研の夏合宿でもお世話になりました。DDTsの環境汚染のことは『Silent Spring;沈黙の春』で、食物連鎖による生物濃縮のことは「環境ホルモン問題」で集中的に取り上げられました。水俣病の原因物質はメチル水銀ですが、当時の熊本大の水俣病研究者は、それらをもっぱら有機水銀と呼びました。とくに、胎児性水俣病の発生機構を論じる時、胎盤を通過できない「無機水銀」とは異なり「有機水銀」が胎盤を通過することを強調しました。その上、それらの血中濃度が母よりも児に高いと知らされました。その為「(母の)有機水銀」が胎盤を通過して胎児に濃縮するという定性的な表現がまかり通り、さらに「有機水銀」が脂溶性であることを鵜呑みしてしまい、DDTsと同じように食物連鎖経由で何万倍(表現は定量的ですが科学的なデータはありません)も生物濃縮をするとの知識になったように思います。メチル水銀は「有機水銀」ですが、水に溶けないわけではありません。水俣湾の海底泥に含まれた海水中メチル水銀濃度が2.69 ± 2.07(11検体)ppt = 1/1012(1兆分の1)であったと報告されています(Matsuyama et al, Marine Pollution Bulletin, 129, 503-511, 2018)。底泥に含まれた海水という特殊な検体ですが、海底泥の浚渫時(一部の泥が海水に懸濁するため)、とくに仕切り網を設置した当初には水俣湾内の魚介類の水銀レベルは低下しませんでした(「水俣湾 環境復元事業の概要」,熊本県,2007)。ppt レベルであればメチル水銀が水(海水)に溶けていることから、そのようなメチル水銀が鰓経由で生物濃縮されたと考えて良いでしょう。メチル水銀の鰓経由の生物濃縮については初代の海生研OBHPに投稿しましたが、改めて別の機会にこの二代目HPに投稿しようと思います。

ウグイの総水銀濃度は、体長を調整しても各河川でレベルが異なっています。各河川環境におけるメチル水銀レベルが異なっていたと判断すべきでしょう。上述したように、その中で米盛川のウグイの総水銀濃度が対象とした8河川中で最高であることから、米盛川の水源地に在る水銀廃鉱がウグイのメチル水銀源である可能性は否定できません。しかし、米盛川についての重回帰分析で、76年から77年のウグイ総水銀濃度は低下していますが(p=0.003)、77年から78年のそれらは有意ではありませんが上昇しています(p=0.656)。メチル水銀の負荷源が米盛川の水銀廃坑であるとすると、米盛川における経年変動幅に多少の違いが有っても不思議ではありません。しかし、有意に低下した翌年に有意ではないにしても上昇に転じたことを、廃鉱からの水銀の流出量、あるいはそれらの水銀のメチル化率上昇したとの説明するのは、単なる「主張」に過ぎません。水銀廃坑が主なメチル水銀負荷源であるとの仮説の証明は難しいというべきでしょう。

実は、全637例のデータの内、同一河川で経年変動を算出できたのは、米盛川の76年から78年、およびオサラッペ川の75年から76年に止まっています。また、オサラッペ川のウグイ総水銀濃度においても経年的に低下しましたが有意ではありませんでした(p=0.247)。637例のウグイ総水銀濃度を従属変数とした重回帰分析では、計算上8河川中2河川の経年変動傾向をその他の6河川にも当てはめた結果ということです。経年変動の方向性を検討すると、3つの経年比較(75-76年のオサラッペ川,76-77年、および77-78年の米盛川)は一定ではありません(関連の一致性が得られないということ)。そこで、重回帰分析の共変数から経年変動を除いて再計算することにしました。なお、メチル水銀は確実に食物連鎖経由で生物濃縮されていることから、体長は共変数から外せないと思います。

説明変数は各河川です。この場合、ウグイ総水銀濃度は上位から倉沼川≧米盛川>オサラッペ川≧忠別川≧美瑛川≧江丹別川>牛朱別川≧石狩川です。経年変動を共変数として加えた場合を再掲すると、米盛川≧倉沼川≧忠別川>牛朱別川≧江丹別川≧美瑛川≧石狩川≒オサラッペ川です。経年変動の算出に用いたオサラッペ川の順位の変動が最も大きかったことから、重回帰分析では経年変動幅が過剰に評価された可能性は否定できません。そして、経年変動を共変数として加えない場合、米盛川でなく倉沼川のウグイ総水銀濃度が最高でした。実際、ウグイ総水銀濃度を体長だけで調整して米盛川および倉沼川のそれらを比較すると、倉沼川の方が米盛川のそれらより有意に高いです(p=0.030)。

したがって、ウグイ総水銀濃度において米盛川のそれらが最高であると結論することはできません。すなわち、石狩川水系におけるメチル水銀の主要な負荷源が水銀廃坑であるとは言えないでしょう。

ところで、水銀廃坑由来の無機水銀がメチル水銀負荷源の一部であるとしても、無機水銀のメチル化が容易にかつ高率に起きることを証明する必要があるでしょう。微生物により無機水銀が自然界でメチル化されることは、定性的には周知の事実です。しかし、これまでの多くの報告では無機水銀のメチル化率について定量的に言及していません。10種類の細菌による培地中の塩化第二水銀からの実験上の定量的なメチル化率が報告されています(水俣病-20年の研究と今日の課題,有馬澄雄編,青林舎⇔以下、青本と記します,pp701, 1979)。それらのメチル化率の高い方から0.48%0.35%、および0.0019%の3種の細菌がありますが、その他の7種類の細菌は、6.8×105%以下(~8×107%)と報告されているように、細菌類のメチル化能は極めて低いのです。仮に、メチル化能の高い上位3種の細菌が米盛川流域で圧倒的な優勢種だったとしても水銀廃坑由来の「無機水銀」から高濃度のメチル水銀が生成したとは考えにくいと思います。

長い間に微生物の水銀耐性能が上がり、メチル水銀が以前より多量に生成するというのであれば、現時点における石狩川水系のウグイの水銀モニタリングをすれば、それから科学的な結論が検出出来るでしょう。水銀廃坑がメチル水銀の負荷源であるならば、今こそ、米盛川のウグイの総水銀(メチル水銀)濃度が石狩川水系のどの河川のそれらよりも高いことが期待されます。

ところで、稲イモチ病対策の水銀系農薬の主製剤である酢酸フェニル水銀(PMA)からのメチル水銀の生成率は塩化第二水銀(HgCl2,水への溶解度;74 g/㍑,硫化水銀は水に不溶)の10倍を超え、その率は1.3%を超えています(青本,pp700)。また、PMA系農薬原体1.0 mgの薄層クロマト分析で、PMAの他に標準塩化メチル水銀の移動距離(Rf値=0.15)とナフチルチオカルバゾンによる発色(赤~赤紫)が一致する物質を検出しています(検出限界0.2μg;新潟水銀中毒に関する特別研究報告書,科学技術庁研究調整局, pp 273-275,1969)。

PMA系農薬原体には0.17~0.42%のPMAを含有しています。PMA系農薬原体1.0 mg中には1.7~4.2µgのPMAが含まれています。薄層クロマト上でのメチル水銀が検出限界としての0.2µgの検出であったとしても4.811.8%のメチル水銀がPMA系農薬原体中のPMAに含まれていたことになります。

PMAの高いメチル化率やPMA系農薬中のメチル水銀の高含有率は石狩川全流域におけるウグイの総水銀濃度の地域(採集地)差が、地域の水田耕地面積の差、すなわち酢酸フェニル水銀系農薬の散布量の差に依存して発生した可能性が高いことを示唆しています。酢酸フェニル水銀系農薬の大量散布が石狩川の全水系のメチル水銀供給源であった可能性を検討するための環境調査(各河川底質土の層別水銀分析が望まれます)を実施すれば、事実が明らかになるでしょう。前回投稿の無加川水系において、水銀鉱山所在地のウグイのそれらが最高でないこと(山中すみへ・上田喜一, 1974)の説明として無加川流域での酢酸フェニル水銀系農薬の使用による追加的メチル水銀汚染があったことを挙げることができると思います。昨年(2018年)7月、梅雨の無い北海道で梅雨末期のような大雨が降り、米盛川の堤防が決壊し、水田が濁流に飲み込まれました。米盛川流域が水田地帯であることを知りました。

公開日 2019年1月29日作成者 tetuando

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